本当はセックス依存症(あるいは依存病)なんてものはどこにもないらしいという豆知識を烏丸くんが披露している最中、私は烏丸くんが私のフォークで物理的に穴ぼこになる様子を想像していた。漫画に出てくるチーズみたいだ、と思ってくすくす笑っていたら烏丸くんは不思議そうな顔をして「珍しくご機嫌ですね」と言った。 「私がご機嫌じゃなかったことなんてないよ」 「昨日ずっと自分からトイレに篭った癖に脱出出来ないって泣き喚いてたじゃないですか」 「それは記憶にない」 本当に記憶にない。時々感情の数値がバグることがあって、私はその時の記憶が飛び飛びになる。その日の朝のアンパンマンが神回で、てんどんまんがアンパンマンに向けて中の具をぶちまけてSNS上ではそれが話題だった記憶はある。けどこれが本当だったか定かではない。てんどんまんに具ってあるんだっけ?自由意志は?脳は?制空権は? 「ねえ烏丸くん。アンパンマンに心ってあると思う?」 「少なくとも、愛と勇気を感じてる分は」 実に端的な答えだった。 烏丸くんと初めてセックスした時の記憶も私はあんまりない。覚えてる部分だけ言うと、ラブホに行っていちばん高い部屋を頼んで、でもその日の金曜ロードショーがハムナプトラ2だったから私はセックスをするべきかヒロインが交代してしまったハムナプトラ2を見るべきかとてもとても悩んだのだった。そしてそこからまた記憶が無い。まあセックスしたってことはハムナプトラ2のことは捨てたんだろうけど。ハムナプトラ初代だったら完全に前者だったんだけどな。 事後、ベッドからバネのように飛び起きた私が「記憶がない」と言うと、烏丸くんは慌てるどころか「安心しました」と言った。私はてっきり彼が何かヘマをしたのだと思い、やあやあ君にも可愛らしいところがあるものだなあ、と科学部のヒロインみたいな口調になったけれど、烏丸くんは「途中で頭がおかしくなってたので」と言い出したので白衣は脱がざるを得ないようだった。着るならどっちかっていうと……拘束具かな?閉鎖病棟の方の。 「私、なんて言ってた?」 「資本主義はくたばれ、くたばれ、くたばれ、って唱えてた後業務用スーパーのポイントカードを冷蔵庫に入れてました」 「燃やしてなくてセーフ!」 「前向きで良いですね」 「皮肉?」 「いいえ、全く」 はい、と烏丸くんに渡されたポイントカードは冷え冷えで、磁気が生きてるか不安になった。烏丸くんはその間にコンビニに行ってきてくれて、私は買ってもらったメロンパンと野菜ジュースを飲んだ。彼はおにぎりをパクパクと食べていた。正確にはぐちゃあぐちゃあごきゅごきゅごきゅぐちゃぐちゃぐちゃ。 「先輩、病院行かないんですか」 彼は静かにそう言って、私は思わず持ってた野菜ジュースを彼にぶちまけようかと思ったけど、でもそれはやっぱり科学部ヒロインとして良くないかと思ってやめた。やめて私は私に野菜ジュースをぶちまけることにした。頭がおかしいのは私だから。閉鎖病棟にはまだ行ったことないけど。行ったところで、治んないし。 「次、私に向かってそんなこと言ってみろ。殺すからな」 そんな酷い言葉がぽん、と出た。おはようこんにちはさようなら殺してやる。ACもびっくりな滑らかさと朗らかさ。私は目線を下にやって、すると彼はシーツに付いた野菜ジュースの染みを指先で擦っていた。そして落ちないことを悟ると、私の目を見て、静かに「はい」と言った。私は何だか恥ずかしくなって「たはー」とベットになだれ込んで寝た。この寝たは普通に睡眠のことで、セックスの暗喩ではないことをここに記しておく。敬具。
「烏丸くんがね、私をしきりに病院に行かせようとするの」 「んん?でもこの前、君ってばしもやけが酷いもんだから、皮膚科に行ってなかった?」 「そうじゃなくて、心療内科とかそっちの方」 「あー、なるほど」 精神科、と言わなかったのは私のプライドなのか恐怖心なのかあんまり分からない。事実、私はどっちに行くことになるのかすらもあんまりよく分かっていないし。 「この前もセックス依存症って病名は本当はないって豆知識を披露してきてさ」 「あはは。とりまるくんらしー」 宇佐美はあっけらかんと笑って飲み物を一口。私はセコい人間なのでタダで貰ったお冷を一口飲んだ。 「心配してるんだよ、とりまるくんも……って言ったところで君には全く届かないんだもんなあ」 「私に届かないんじゃなくて、烏丸くんの飛距離が足りてない」 「じゃあなんて言ったら足りるのさ」 「子供を生むことが幸福な事だと誰も証明していません!おめでとう!」 「うーん、思想!」 そう言って宇佐美はケラケラと笑ったので、私は彼女のラテを奪って半分ほど飲んでやった。けれども宇佐美はまたしても笑ってそれを許した。度量の広い女である。 私はセックスするのがすっごい好きだけど、別にそれを他人に強制しようとは思わない。セックスしなくたって人生で困ることなんて何にもないし、セックスしないことが罪に問われるわけでもないし、嫌いなら嫌いでいいと思う。セックスなんて娯楽だから。DLC。だからDLCで子供が生まれるシステムの方が間違ってる(ある種合ってるのか?)、とまあこれ以上はまた宇佐美に思想!と言われてしまうからやめるけど。でも、こうやって私だってセックスを社会に押し付けてないんだから、烏丸くんも私に病院を押し付けるのをやめてほしい。 という旨をオブラートに何重にも包んで彼に伝えたところ「何がそんなに嫌なんですか」という端的な答えが返ってきた。まあオブラートって溶けるしね。 「だって!全部が全部真っ白な部屋に押し込められて閉じ込められるに決まってる!」 「多分そのイメージ、間違ってますよ。まあそういう施設も、無くはないんでしょうけど」 「ぜったいぜったい行かないからな」 「でも、俺は先輩に楽になってほしいです」 「なら死ぬけど」 「………………」 「本当に楽になりたいなら死んでるよ。だってそれが一番正しくて早いでしょ」 「…………俺は先輩のこと、好きですよ」 「えっ嬉しい」 それは知らなかった。普通にセックスしてただけだから。セックスするのは好きだけど、烏丸くんのことが好きだとか好きじゃないとか考えたことも無かったし。 「だから、」 「でも行かないよ。なんで私がそれで行くと思ったの?烏丸くんが私を好きなことと私が病院に行ってお前は病気ですって言われることって何も関係なくない?ねえ、関係ないじゃん」 段々と私は苛々してきて自分の肌を掻きむしった。痒い。痒い痒い痒い。昔から性欲はバカみたいにあるのに性愛は肌に合わないのだ。なんでかな。やっぱ親が離婚してるからかな。おばあちゃんとおじいちゃんがギスってるのを見てきたからかな。 「…………」 烏丸くんはちょっと困った顔をしていた。それを見ると尚更苛々してきて私は自分の髪の毛を何本か抜いて地面に寝転がって暴れ回った。ぎゃあぎゃあなんだか色んなことを喚いていたけど記憶にない。まるで他人事だった。そして烏丸くんはそんな私をじっと見ていた。アリの巣を見つめる子供みたいに。 「…………………………………………死にたい」 まるで事後みたいにか細い声が出た。烏丸くんは私と同じように地面に、つまりは私の横に寝転がって私の顔をじっと見つめた。 「………………………………イケメンがいる」 「よく言われます」 凄い、と素直に思った。 「怖いですか」 「怖い」 「何が」 「全部。なんかもう……全部」 「俺は?」 「怖い」 「先輩は?」 「怖い」 「お化け」 「……それはフツー」 「なら良かった」 ふふ、みたいな感じで烏丸くんが笑った。私はなんだかそれを見ているととても悲しくなってしまって、まあ九割気のせいなんだけど、それはともかくとして泣けてきてしまったのだった。