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たとえばシューティングゲームをやってる人間は人を殺したいんだ!なんて意見には直ぐに異を唱えられるわけなんだけど、シューティングゲームをやってるお前は人を殺したいんだ!と言われてしまえば最後、おずおずと頷いてしまうようなところが私にはある。殺人願望があるとかそういうことではなく、私は私をあまり信用していないというだけの、簡単な話。

「だからね、それと同じなんだよ橘くん。私は何も全ての……たとえば親から引き剥がされた子供の精神構造が破綻しているとはちっとも思わないけれど、その主題がいざ私に移るとなると話は別で、つまり私は私の前の父親と知らない女の間に生まれたその子供を殺してしまうかもしれないのね」 「…………だから、お前の父親の葬式に、着いてきて欲しいと言ったのか。義理の弟と鉢合わせて、どうなるか分からないから」 「うん」 「全く。俺は時々、お前の正直さが怖くなるよ。お前を見ていると正直さとは美徳では無い気がしてくる」 「私は正直さが美徳だなんて思ったこと一度も無いよ。我らが後輩諸君は一人を除き思っていそうだけど」 そんな軽めのジャブを交わしながら、そして流れる風景の中であんまり行かないファミレスのチェーン店を探していたら(バーミヤンとかロイヤルホストとか)、あっという間に葬式会場に着いた。駅の近くには知らない苗字の家の名前と葬式会場はこちら、みたいな立て札があって、その通りに歩いていくとそこはお葬式会場だ。 「そう言えば、向こうの母親……母親?で良いのか?」 「私のお父さんを選んだ見る目のない女、でいいよ」 「…………彼女には、お前が来ることは伝わっているのか?」 「さあ。怖くて聞いてない。でもお母さんのことだから言ってそうと思って今かなりビビってる」 「今なのか?根性があるんだか無いんだか分からないな……」 「いらないよ、そんなの。未来永劫いらない」 橘くんは自分が喪主ですという堂々たる態度で(間違った喩えかも)、名前を記名し、私もそれに続いた。流石、ここら辺はしっかりしている。私は橘くんの背中から会場をひょっこり覗き見た。 「…………うわ、老けてる」 いわゆる遺影というやつがドン!と目の前に大きくあったわけなんだけど、記憶の中の父親よりもずっと老けてる。皺も多いし、白髪もある。あれーこんなんだっけ?というのが第一印象。 「あら、もしかして███ちゃん?」 「………ひ」 私の名前を呼ばれたので、咄嗟に橘くんを盾にして隠れる。彼は呆れたように溜息を吐いて、私の代わりに「この度はご愁傷様です」とまともなことを言った。 「話は貴方のお母さんから聞いてるわ。来てくれてありがとう。ここまで大丈夫だった?」 「………………」 「………ええ、大丈夫です。ありがとうございます。ほら、お前もちゃんと挨拶しろ」 ナチュラルに兄面しているのがムカついて、背中を抓ろうとしたけど筋肉があって出来なくて、謎に背中を引っ掻いてる人になってしまった。それはともかく、この女の人が今のお嫁さんなんだろう。顔は知らないけど、雰囲気で分かる。私が喪主ですって感じの湿気た面。 「……………ご愁傷様です。あの、すみません。びっくりして、その」 「いいのよ、貴方こそびっくりしたでしょう……お父さんが……」 そこで女の人がうっと泣き出すので、私はなんだか全部が突然どうでもよくなって、帰りたくなった。帰りたくて帰りたくてたまらなくて、まるでショッピングモールに飽きた子供がごねるみたいに橘くんの片腕にしがみついてそこに爪を立てたけど、橘くんはビクともしなかった。 そんな地獄みたいな時間が十数分続くと、女の人は疲れたように笑って、「よかったらうちの子にも会っていって」と呟く。そこにはパイプ椅子にぼんやりと座った男の子がいた。当然ながら、私も、橘くんも知らない男の子。 私は頷いて、喪主たる女の人は忙しそうに去っていった。私は橘くんに「帰ろうよ」と言ったけど、彼は「せめて焼香はあげていくべきだろ」と至極真っ当なことを言ったので、渋々頷いた。男の子、つまり私の義理の弟にあたる人物は、私が目の前を通っても何も言わなかったし、顔も上げなかった。多分私が義理の姉ってことを知らないんだろう。私はまた橘くんの真似をして焼香を上げて、お父さんの棺を見た。厳密に言うならば、死体を見た。 うわ、死体だ、って感じだった。死体だ。生きてる感じが全くない。涙もない。悲しさとか嬉しさより、どっと虚しさがつのる。なんで私のこと産んだの?なんでこの子だけにしとかなかったの、と詰め寄りそうになったところを、橘くんに「大丈夫か?」と声をかけられて、私は顔を上げた。 「私が大丈夫だった時なんて生まれて一秒もない」 「だったら尚更、早く帰ろう」 私たちは他の参列者よりずっと早く葬式会場から出て、ロイヤルホストで二人して夜ご飯を食べた。橘くんはこのファミレスとは思えない高さにぎょっとしていて、私は私で貰ったお清めの塩を肉の上にかけようとして橘くんに怒られた。 「…………行かなきゃ良かった、今日」 ご飯を食べて眠たくなった頭で、私はぽつりとそう言った。橘くんは黙って私が残したサラダをお箸で丁寧に集めて食べていた。 「全部杞憂だったな。私って全然お父さんのことどうでもいいし、あの家族のこともどうでもいいし、人を殺すのは面倒だし、それでもじゃあなんて産んじゃったのって疑問はあるし、聞けないし」 「つくづくお前は素直だな」 「なのに生きづらい」 「だからじゃなくてか」 それは見解の相違ってやつだな、と思ったけど、言わなかった。橘くんは私の頭をまるで後輩にするみたいにぐちゃぐちゃにしようとしたけど、私はその手を反射的に払った。パン、とそれなりの音がして、橘くんはほんの少し笑って「悪い、いつもの癖で」と言う。 「パフェで許してあげるよ」 「……それはいいが、食べ切れるのか?」 「余った分は橘くんにあげる」 「はは、まあいいよ、それで。お前の機嫌が直るならな」 「それは直んないよ。未来永劫私の性根と機嫌は直んない」 「それはそれで俺は構わないけどな。未来永劫、お前の隣には俺以外寄り付かないから」 すみません、とこの手の店のブザーの存在を忘れがちな橘くんは素直に手を挙げて店員さんを呼び止めて、私は机の下で彼の足を踏んだ。

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最近のホラーを見ているにつけ、人々は理解不能なものを恐れている気がする。いや、幽霊だって科学的に説明が出来ないのだけれど、私が言いたいのは因果ということだ。幽霊が出るのはそこで人が死んだとか恨みを持ってたとかで、今はそういうものが一切ないだとか、それこそ霊体よりも一般人の方が怖いだとかそういう傾向にあるのだろう。

「だからさ、橘くん。お化け屋敷なんていうものは、作り物であるとか以前にストーリーという明確な理由がある時点で、猿がタイピングするような、無邪気な恐怖には勝てないんだよ」 ───と、そんなことを言った数十分前の自分をぶん殴ってやりたい。私はさっきから橘くんの背中にしがみついて、目を閉じて、わけも分からぬまま前を進んでいる。いや、進んでいるというか、押しているというべきか。 「なあ……やっぱり、杏と一緒に入ったら良かったんじゃないか?」 正論しか言わない男がそう言った。確かに、今日このショッピングモールに遊びに来たのは私と彼だけではなく、杏ちゃんや後輩達など、とどのつまりいつもの面子なのであった。余裕をぶっこいていたら、いつの間にかお化け屋敷に入る流れになって、私は橘くんとのペアを希望した。勿論橘くんは後輩達からも大人気であったからその競走は熾烈を極めたが、最終的に私が「じゃあ今ここで頭机に殴りつけてやるから!」と病的な脅しをすることで勝利した。あながち、脅しでもないけれど。 「嫌だよ、橘くん。人間舐められたら負けなんだよ。如何に舐められないで他人を舐めるか、これが肝要だと思わない?」 「お前は俺の妹をなんだと思ってるんだ…俺ならまだしも、杏はお前にそんなこと思わないぞ」 俺ならまだしも、に引っかかったものの、ここでは追求できる余裕がない。私はほぼほぼ反射で言葉を返した。ちなみに橘くんといる時は常に反射で返している。 「私の頭の中の彼女に舐められる!」 「また意味のわからないことを……」 溜息をついた橘くんは、不意に立ち止まり「……こんなところに車椅子がある」と呟いた。 「馬鹿だね、橘くん。ここのお化け屋敷のコンセプトを忘れたの?廃病院だよ、廃病院。今の橘くんはハンバーガーにピクルスが入ってる!って騒ぎたてることぐらい滑稽だよ」 「庇われているとは思えないその言動、一周回って感心してきたな……。車椅子がこんなところにあるってことは、通り過ぎたら何かが起こるかと思って声をかけたんだが……じゃあ進んでいいな?」 「待って待って待って待って」 抱きつく♡と言うよりも締め上げる♡とハートマークでは誤魔化せない程度に橘くんの腹に力を込めれば「……ぐっ」と呻き声がした。さっき食べてたラーメン吐いたらごめん。 「何?何かが起こる?君に一体何が分かるの?」 「誰目線で怒ってるんだそれは……後、腕を離してくれ。さっきからそのせいで俺の負担が凄い」 「嫌。死んでも離さない。離せば最後、橘くんは私を置いて一人出た挙句後輩たちとゲラゲラ笑うという悪しきミソジニーに染まった行動をするのは明らか」 「お前は俺をなんやと思うとっと……」 「家父長制の擬人化!!!」 「………本当に置いていっていいか?」 私は橘くんに更にしがみついた。死なば諸共、という言葉が脳裏に過ぎる。これ誰だっけ、板垣退助だっけ、違う気がする。そんなことを考えていれば、橘くんが頭を搔く気配がした。困った時にやる仕草、つまりは私がいちばんよく見る彼の仕草だ。 「分かった分かった。置いてはいかない。だが、進まないと後がつっかえるからな。さっさと進んでしまおう」 いや、それが出来たら苦労はしてない。そう言おうとした私の体が突然、ぐわと持ち上がって、「ぐ……」と変な声が出た。私は高い悲鳴が出せないタイプなのだ。そんなことはどうでもいいんだけど。 「な、なに、なになになにアホボケバカくたばれ!」 「お前は本当に流れるように罵倒するな……」 「心配するな、抱えただけだ」と橘くんが言う通り、私はまるで腹話術のお人形のように、橘くんの腕に座るようにして彼に抱えられていた。彼の腕力にはぞっとするし、その不安定さも怖い。目を開けたいけれど、目を開けたら開けたでろくな光景が浮かんでこないだろうから、無理だ。 「じゃあ行くぞ」 「どっ……べ……ばっ………」 「……何語だ?」 そんなウィットに富んだ会話をしながら(皮肉である)、橘くんはスタスタと歩き、私は殺してやる殺してやると誰に対してでもない怨念を振りまき、出口の直前で降ろされた。私の足腰はもう限界で、「こっ……こ、こ、こっ……」と殺してやるという怒りが先走るあまり鶏のような鳴き声しか上げられない。 「もう大丈夫だ。このまま出たらお前のことだから、怒るかと思ってな、ここで降りたらいい」 「嫌味なぐらい私のことが分かってて何よりだよ。……え、じゃあもう目をあけていい?バーンってならない?」 「ならないならない。だから………あー、いや、ちょっと待ってくれ」 「何何何何何何何!?騙し討ち!?卑怯者!」 「俺はそんなに信用がないのか?」 呆れたように言った橘くんは、深く、深ーく深呼吸をしたようだった。目を瞑っているから分からないけれど、でも多分、そうだった。 「うん、構わないぞ」 私が恐る恐る目を開ければ、そこにはいつも通りの橘くんがいるだけだ。 「何だったの、さっきの」 私がそう聞けば、彼は少し目線を逸らしながら「何って、深呼吸だよ」と分かりきったことを言った。 「……落ち着くための?」 「お前は時々鋭いんだか鈍いんだか、分からなくなる」 橘くんは笑って、私の手を引いてお化け屋敷から出た。……本当は、こっそり橘くんの顔を覗き見たと言ったら、彼はどんな顔をするのだろうかと思ったけど、それは性格の悪い私でも酷く悪趣味なことであると思ったし、逆に私の首を絞めることになるとも思ったので、結局私は何も言うことはなかった。

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人には人の生活があって、人生がある。そんなこと誰だって分かっているというか、それが用意された世界に生きているというか。ここを深堀すれば卵が先か鶏が先かという話になってくるからそれはしないけれど、ともかくそれを事実としてインプットされている私達が、目の当たりにした時の驚きは事実と別物である気がする。例えばそう、高い山の上から見た夜景の眩さを気持ち悪いと思うことだったりとか。

「だからさ、スーパーもまた私にとって同じ場所なんだよね。人には人の生活があって、人生があって、生きるための営みをしている。それを目の当たりにする場所という点において、私はスーパーが得意ではないんだ。コストコとかも苦手、資本主義の局地って感じで。多分私が地獄に落ちるとしたらコストコになると思う」 「正直なところ、その考えは俺にはよく分からないな」 「別にいいよ。分かってほしくて言ったわけじゃないから。表明であり、ジャブだよ」 「どうしてお前はいつもそう喧嘩腰なんだ?」 私たちは部活中の買い出しでスーパーに来ていた。この時期は酷く暑くて、スポーツドリンクの類であるとか、そういったものを常備しておくように学校から言われている。親御さんだけの負担にしていたら、クレームが来たのだろう。あとついでに、橘くんは後輩達にアイスクリームも買って帰るつもりらしくて、だからこそこうして私とスーパーに出張ってきた(くれた)というわけだ。 「……にしても、スーパーっていうものは大体どこも陳列が同じというか、例えばお菓子はレジの近くで野菜は入口近く……みたいなお決まりがあるものだけど、それを理解していても、初めてのところは不思議と迷うよね」 「ああ、その感覚はお前のものにしては珍しく、俺にも少しわかる気がする」 「遠回しな言い方をありがとう。…………そう言うわりには歩き方に淀みがないけれど、このスーパーにはよく来るの?」 「学校近くだからな。杏と部活帰りによく来るぞ」 思えば、橘くんは料理が得意だという設定があった。設定。私は橘くんの料理を食べたことが無いから、彼の料理上手に実感が湧かず(疑っているわけではない)、薄っぺらい設定のように思えてしまったのだ。 「………おい、今すごく失礼なことを考えていないか?」 「ちっとも。…………ていうか、こんなにスーパーって寒かったっけ?」 記憶の中のスーパーは、半袖でも涼しい〜ぐらいの気温だったはずなのに、実際のスーパーは半袖だとかなり寒い。生肉売り場を通ると尚更だ。 「そうか?俺は何とも感じないが……」 「やっぱ筋肉あると基礎体温?みたいなのが高いのかな」 「あんまり寒いんだったら外に出ておくか?」 「こんな暑い中外に出たらそれはそれで死んじゃうよ。寒さは我慢すればいいけど、暑さに関しては我慢しようが無いし。死に直結するし」 「まあ、それもそうか。早いところ買い物を済ませよう」 その言葉の通り、スポーツドリンクの粉末と、ついでにゴミ袋を買った私達はアイスコーナーがある冷凍食品売り場へと向かった。 「どれにしよう?」 「そんなに高いものは買えないぞ」 「分かってるよ。フルーツのアイスバーでいい?」 「いいんじゃないか」 そんな会話をしながら箱に手を伸ばそうとして、止まる。私の手は、その向かい側にあった、メロン型のアイスを取った。 「うわ!懐かしいこれ!給食で出なかった?」 「給食で出ていたかどうかは忘れたが、見た覚えも食べた覚えもあるな」 「絶対そうだよ。うわー!懐かしい!私これ食べたい!」 「……これを人数分買うのは少し嵩張るんじゃないか?」 急に現実的なことを言い出した橘くんを横目で睨みつけたが、彼は「そんな可愛い顔をしても駄目だぞ」と言った。殺そうかな。 「じゃあ私だけこれにする」 「それも駄目だ。価格差があったらうちの連中は揉めるぞ」 「くそ、これが橘くんだったらあいつらどうせ何も言わないのに……!」 「ははは」 「否定しないのが尚更ムカつく……。いやまあ事実だからいいけどさ」 どうしても諦め切れなかった私は「じゃあ自分のお金で買ってここで食べる」とメロンアイスを手に取った。 「皆で買うアイスは後でまた買いに来たらいいし。外のベンチで食べる」 「そんなに食べたかったのか……?」 呆れ返ったような橘くんだったけれど、この私が自主的に何かを食べたい!と言い出すのがどれだけレアなのか、彼は分かっていないらしい。私は唇をとがらせて「だから橘くんは先帰ってもらっていいよ。アイスは私が責任を持って買って帰るから」と呟いた。 「はあ、分かったよ。そんなに言うなら俺もお前と一緒に食べてから帰る」 「………いや、なんでそんなやれやれ感出してるの。食べたいなら最初っからそう言えばいいのに。ひねくれてるね」 「多分全ての人間が、お前だけには言われたくないだろうな」 「うるせー!ああ言えばこう言う!」 「それもだな」 そんな見苦しい言い争いを続けながら、私達は一旦アイスバーでは無くメロンアイスを手に取ってレジに向かった。外のベンチで食べる目算だったけれど、最近のスーパーは(大きいところだからかも)イートインスペースがあるらしく、わざわざ灼熱の外で食べる必要もないので、その場所に甘えることにした。 「あー、こんな味だった。懐かしい」 「思ったよりもシャーベットだな」 「ね。爽やかな味だ」 私達は無言でかつかつとプラスチックの容器にスプーンを立てていたけれど、しばらくしてから橘くんが口を開いた。 「……一つ質問をしていいか?こんな時に聞くべきなのか、逆にこんな時だからこそ聞くべきなのか、よく分からないんだが」 「何、改まっちゃって」 「転校するというのは、本当か?」 その言葉に、私のスプーンの動きは一瞬止まる。パニックになりかけた私の頭を、というか意識を無理やり引き戻して、私はまたスプーンを動かした。 「えーと、どっから聞いた?」 「それは言えない。ただ、そいつも悪気があったわけじゃない。たまたまお前と先生がそういった話をしていたのを聞いたらしい」 「ああ。いやまあ、隠してた訳でもなかったし。気になったから聞いただけで……怒ってるわけじゃないから。まあ、言いたくないなら聞かないよ」 「…………お前、こういう時は怒らないんだな」 困ったように笑う橘くん。アイスの味がしなくなって、私は眉をひそめた。次に彼が何を言うか、私には容易に想像がつく。 「俺のせいか?」 ほらね。 「違うよ。私の人生で、橘くんのせいだって思うことなんて過去に一度もないし、未来にも無い」 「…………」 「ただ、機会を貰ったな、とは思う。それだけ。君のせいだなんてことは無い」 「…………お前の素直さが、こういう時ばかりは忌々しいよ」 その言葉を聞いて、私は何となくいい気分になって、単純なものでメロンの作られた甘みも戻ってきた。酷く気分がいい。私はやっぱり性根がへちゃむくれだなと思いつつ、最後の溶けたそれを喉に流し込む。それこそ、甘露のように。

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どうしようもないことなんて無かった、と私は思う。私も、後輩の彼女も、きっと同じことを思っていただろう。当時の先輩と私達で問題が起こった時、私達二人は真っ先に先生に相談した。けれどそれは通らなくて、だから今度はもっと上の先生に相談しようとした。それが駄目なら県の教育委員会でも、外の機関でもなんでも、訴えればいいと思っていたし、そうつもりだった。 でも、そうはならなかった。ならなかったというか、間に合わなかった。突然現れたたった一人の転校生が、まるでジャンヌ・ダルクのように全てを変えた。けれど私達は彼を革命家とは思えず、人身御供としか思えなかった。心の底から馬鹿馬鹿しかった。何が、と言われると、全てに。女だからと虐めること『すら』しなかった先輩達も、私達を見捨てた大人達も、子供が子供に付き従っている現状も、この学校のことも、全部が全部馬鹿らしくなった。私は何も出来なかった。馬鹿馬鹿しい。本当に、こんなにも無意味なことを、私はどうして3年間も続けてしまったのだろう。