ああ、どいつもこいつも有象無象だ。 だからオレはこの世界を「舞台」にした。そうすりゃほら、有象無象もモブぐらいにはなるってわけだ。オレの、オレ達のための舞台装置。必要悪にすらなれない、それ以外の背景。
「わたしのために、死んでよ…………!」
──────────背景が、輪郭を持って現れた。 クソみてえなことを言いながらそんな台詞を吐いた女のことを、オレはようやく認識した。有象無象が、モブが、一丁前にそんな台詞を吐きやがった!
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四人目の指揮官が来た。候補だなんだか言っていたような気もするが、どっちでも変わらない。丸眼鏡をかけた、猫背の女。 その女の名前をオレは早々に忘れた。キャラ付けもクソもねえ、初期アバターのような見た目を記憶するのにオレの脳の容量を明け渡す必要はないからだ。ただ、指揮官という立場上そいつと顔を合わせる機会はある。それでも驚くほど何も記憶に残らねえ。物言わず、ただじっと黙ってオレ達を見つめている。虚空を見つめて唇を剥がしては、無意味な時間の使い方をする。そんな暇があればもっと他のことが出来るはずだろうが、そこまではオレが知ったこっちゃない。それでも姿勢の悪さだけがどうにも気になった。あの姿勢の悪さなら、俺の舞台に使えない。どこにでも居る、愚図。それがあの女。有象無象の女。
面倒臭いことになった、と思ったのは泣き喚くそいつを目にした時だろう。普通の、何のドラマもない日だったが、有象無象からすれば穏やかな日だと言い換えることもできるのかもしれねえ。 そいつは、ホコリのように、深夜の廊下の隅で蹲っていた。軋んだ床で、存在を悟られれば、表情のない仮面のような顔がこちらを見る。 一瞬、眼鏡が無いので誰かと思った。女は、オレに気がついたかと思うと、顔に当てていた手をゆるやかに落とす。その青みがかった目はどこまでも生気がない。そしてオレを見ちゃあいないなんてことはすぐに分かった。へらへらとわらいながら、君、誰だっけ、なんてクソ程も役に立たねえ質問をしてきやがる。お前が誰だよ、と言えば、その顔は素面に戻った。こんな有象無象でも一丁前に怒っているらしい。涙を汚らしく垂れ流したままの女は、怒った顔のまま、オレを睨む。それから何一つ言わず背を向けて何処かに行った。言いたいことのひとつも言えない人間は、オレの舞台に必要ない。だからオレも見なかったことにする。こんなことを記憶したって仕方ない。あの女の為にもならない。
記憶してなかったお陰で、また同じ場面に遭遇する。女は、今度は露骨に顔を顰めた。げえ、じゃねえよ。こっちの台詞だそれは。相も変わらず学習能力が無いのか、だくだくと汚らしく涙が流れ続けている。それは驚くほど歪んだ顔と不釣り合いだった。屋上はオレのテリトリーで、モブが自己憐憫のために泣き喚いていい場所じゃねえ。クソ、さっさとトラップを作っておくべきだった。 「…………おっ、あ゛……う゛えっ」 女が軽い過呼吸を引き起こし始めたせいで、思考が中断する。おい、誰だこんな人間を指揮官として雇った人間は。 「おら、深呼吸しろ。ゆっくり息を吸え」 「い゛っ…………、ごめ、ひっ、お゛え…………」 「無理に喋んな」 丸まった背に肉はない。細々とした手に、唾液が飛び散る。浅い呼吸を繰り返したあと、女はその場にへたり込む。悪くないセンスのワンピースが汚れそうなのがひどく気になるが、背をさする手を止める訳にはいかない。 「ごめ……ごめんな……い……ごめ……」 「おい、だから謝るんじゃあ……」 「ごめんなさい────生きてて、ごめんなさい──────」 「……チッ」 こいつははなからオレを見ていなかった。この女が、最も許容できないのは、オレなんかより余程最悪な、手前自身ってことだ。オレ相手に良い度胸だが、その様子はあまりにも陰湿すぎる。モブと呼ぶには悪目立ちし過ぎている。決して光を浴びることの無い、過剰なまでの陰湿さがそこにはあった。 なんの役にも立たねえ、自己保身のための謝罪を聞き流して、オレはその女を無理やり立せる。下に降りれば、ちょうどいい人間がいた。 「ど、どうしたんですか!?」 「知らねえ」 「…………ごめん、自分で部屋戻るね。三津木くん、迷惑かけてごめんね。浅桐もごめんなさい」 女は微かに息を吹き返し、気持ちの悪い笑みを浮かべて、背を向ける。どれだけ自傷に没入していても、状況を把握する頭ぐらいはあるらしい。 「……天国さん、どうしたのかな」 「さっきも言ったろ。知らねえよ。生憎とモブには興味がねえからな」 他人の人生には介入できねえ───────それはそいつだけの舞台であり、変えようのない現実だからだ。
「やあやあ、昨日はごめんねえ三津木くん。夜遅くにびっくりしたでしょ。情緒なんてもうめちゃくちゃ!ジェットコースターかってね」 「え、あ、はい……」 「浅桐もごめんね! ああいうことよくあるんだ、気にしないで」 「…………」 翌朝、呑気な笑みを浮かべて話しかけてきた女は、まさしくモブに相応しかった。軽やかな、どこにでもあるような親しげな挨拶は、台詞に起こすまでの価値もない。だから、この女は、何を言おうが、有象無象に紛れる存在だった──────────昨日、あれだけの自傷を衆目に晒しておきながらだ! オレはそれが気に食わねえ。控えめに言ったところで反吐が出る。もしこれが演技なら、まだ見るに堪えただろうに、演技でもなんでもねえその態度はどこまでもふざけてやがる。 「よくある? あんな乱痴気騒ぎの自傷行為がか? パフォーマンスも大概にしやがれ」 「……自傷行為?」 女は一瞬眉をひそめたが、それはオレが見たかった、痛快なものじゃなかった。それどころか、不快ですらあった。こいつは理解していない。自分の行いを、自傷であることすら認識できていない。 「いや、大丈夫だよ。リストカットとかもしたことないし、自殺未遂なんて尚更無いし。だってわたし、死ぬ勇気なんてないし……」 「天国さん!」 割って入った声に、女はようやくその気持ち悪い笑みを止めた。自分より年下の存在にも関わらず、その視線は恐怖に満ちている。オレはその姿に、昨日の夜、うたかたの夢のような陰湿さを確かに垣間見る。 「死ぬ勇気なんて、あっていいはずがないです。たとえあったとしてもそれは、喜ばれるべきものじゃないはずですから、だから……」 「そ、そりゃあ、死ぬ勇気なんてあっていいはずないよ? でも、でもさあ…………」 二人して馬鹿みてえに黙りこくる。 「……お前らがパフォーマンスになってどうすんだよ」 「そう、ですね。すみません。急に、大きい声を上げてしまって」 「…………ううん。気にしないで。いいの」 女の顔にはどこまでも良くない、と書かれているからオレは笑う。女の口から笑みはすっかり消え失せ、陰気な女がそこに居た。背筋を曲げて、朝食のつもりなのかクッキーをもそもそ食べている。ふと目が合うと、睨まれた。おまえの全てが気に入らねえが、その目だけは及第点だ。背景ぐらいにはなるだろうよ!
その翌日から、オレが夜中に屋上に上がると嫌がらせのように自傷行為を拗らせた女がいやがる。トラップには適度に引っかかっているのか、その改造しがいの無さそうな脚には打撲の跡が見え隠れしていた。なんのアピールかと思っていたが、そういやこの女はいつもワンピースを着ていることにようやく気が付く。まあ、衣装でこの女の醜悪さが隠れる訳でも無い。 「浅桐の前で死んでやりたい」 「おら、どけ愚図」 起き上がりもせずもぞもぞと移動するそのサマは愚図もいうよりも芋虫に近い。どちらにせよ邪魔なのは変わりねえ。 「ああ、耐えられない。耐えられない。わたしはわたしが耐えられない。生きてることに耐えられない……」 「うるせえな!お前はぶっ壊れたレコードか!?」 ぐずぐずと唸る背中を軽く蹴れば、ゴロゴロと転がり、汚ねえ顔をした女と目が合う。……し、に、た、い。口パクで言えばいいってもんじゃねえよ。 「浅桐はいいよね。こころに神経が通ってないんだもん」 「あ? 正しい神経系の知識を埋め込まれたいのか?」 「ぎー!ムカつくムカつくムカつく! 絶対に浅桐の前で死んでやる!」 陰気さと陽気さが混じったお陰で、わずらわしさが倍増している。それでも屋上から首だけをはみ出して死んでやると呟かれるよりかは集中出来た。オレが何度首根っこ引っ掴んで屋上から追い出してもまた戻ってくる。その挙句、「死ぬ勇気なんてないから」なんて開き直るからたまったもんじゃねえ。採用担当者を呼べとは言ったが痺れを切らしてオレから問い合わせることにした。こんなことにオレの貴重な時間を使わせるな。 『天国さんですか? ええと、あんまり個人情報とかは言えないですけど……真面目なひとですよ。仕事もちゃんとやってくれてますし、他の子達からも悪い話は聞きませんから』 真面目。クソがつくほど真面目でもなく、ただの真面目ときた。普通の真面目があんな陰気さを振り回して平然としていられるわけがねえだろ。どいつもこいつも見る目がないが、この女に限ってはそれが正解なのだろう。無視すること。見ないふりをすること。それがきっと、この女に対する最適解だ。この女は絶対に死なない。この女は、モブにしては珍しく自分のことが分かっている。分かりすぎているぐらいだ。だからいつもうだうだ言う通り、死ぬ勇気なんて持ち合わせちゃいない。目を離したところで飛び降りることもねえ。中途半端な希死念慮は致死には至らず、自傷行為に留まっているのがその証拠だ。この女は事故にでも遭わない限り平均寿命まで平然と生き残るだろうことは、オレじゃなくたって分かる。 悲劇にするには足りない。喜劇にするには過剰すぎる。この女の人生はどこまでも中途半端だ。
(ああ──────でもそれは) (誰もこの女の死に様に、舞台に、見向きもしないということだ)