ずっと夢を、見ているみたいだった。
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手も足も出ない、とは本当にこのことだと思う。まるで夢みたいなあの景色は、まるで現実味がなくて、病室の白い天井を見る度に、やっぱり夢のような気がしてくる。浅桐に掴まれた手を思い出す時に湧いてくる感情は、仄暗い喜びと、泣きたいぐらいの希死感情だった。
一回掴まれたから、全部が欲しいと思った。報われてしまったから、幸せになりたかった。まるで、おとぎ話のバチがあたる人間みたいな心地だった。
なんてわたしは、気持ちが悪いんだろう。
なんてわたしは、おぞましいんだろう。
浅桐に呪いをかけたその日から、わたしの思考はずっと循環している。彼への愛は彼への怨嗟になってわたしという存在への忌避感に変わって、でもそんなわたしの手を取ってくれたことが嬉しくて、また愛に戻ってくる。それでも、やっぱりわたしはわたしの感情が、気持ちが悪くておぞましい。
正しく人を愛したい。正しく人を好きになりたい。死んで欲しいなんて人に思ってはいけない。そんなことは分かっている。ずっと前から分かっている。分かっているくせに出来ないのは、わたしの頭がおかしいからだ。
(死ねば良かった)
病室の天井を見ながら、そんなことばかり考える。あれだけ嬉しかったのに。あれだけ救われたと思ったのに。わたしの頭はおかしいから、そんなことはすぐに忘れてしまう。それがどうしようも悲しくて泣いた。死ねば良かった。あれがわたしの奈落の、最高到達点だから。きっとあれより高くには跳べないから。天国には届かないから。落ちるぐらいなら死ねば良かった。生き長らえなければ良かった。
浅桐が可哀想だった。わたしみたいな人間に、足元に縋りつかれて、可哀想だと思った。同情した。もっと他のことに時間を使わせれば良かった。わたしのせいで危険な目にあって可哀想だった。価値のないわたしのために労力を使わせて可哀想だと思った。
(死んでいれば良かった)
学校の窓から飛び降りていれば浅桐はわたしに会わなくて済んだのに。もっと素敵で、面白い人に、会えていたかもしれない。わたしみたいな愚図に会うことなんて無かったのに。可哀想。わたしは生きているだけで迷惑をかけている。わたしが何かを食べて、消費して、息をして、損なわれていくものがあることにどうしようもなく耐えられなくなる。
あの日からずっと、夢に浅桐が出てくるから。それが尚更辛かった。夢はいつだって正直だ。わたしは夢の中でいつも彼と仲が良かった。同じ学校の、同じクラスの友達で、たわいないことを喋って、それだけの夢だった。
目が覚めれば、あまりの浅ましさに気分が悪くなった。吐き気がした。死にたくなった。気持ちが悪い。自分の欲はこんなにも気持ちが悪い。性愛の方がずっとマシだった。それならまだ納得が出来た。性別なんてものはわたしの癒着願望を阻むものじゃなかった。わたしはきっと、彼の手が三本あって目が五つあって意味のわからない言葉を喋っていたとしても、きっと同じことを願うだろうから。
だから、夢に、その小さな化け物が介入してきた時。わたしは少しだけホッとした。本当に、馬鹿な話だけれど、こんな夢を見てしまうぐらいなら、このまま襲われて死んでしまった方がずっとマシだと思ったのだ。
イーター。地球の核を食べる生き物、なんて言い方は可愛らしすぎるけど。でも、それはわたしたちがいつも見ている大きさではなかった。掌に収まるぐらい小さくて、まるで小石のようなそれは、今にも死にそうだった。波打ち際の、陸に上がった魚のように、わたしの掌で苦しんでいた。迷子だろうか。捨て置かれたのだろうか。どちらにせよ、この生き物はヒーローが倒すまでもなく、わたしが殺すまでもなく、死ぬだろう。
その姿が、惨めったらしい姿が、どうしようもなく天国かやに重なった。もしかしたら、同情したのかもしれない。化け物を通して、わたし自身に同情していた。結局イーターも、踏み台にしか過ぎないのなら、いよいよわたしも人でなしの仲間入りだ。
だから、飲み込んだ。食べてしまった。食べてしまいたいぐらい好き、なんて言葉がある。食べるのも愛。食べないのも愛。その愛という言葉の八方美人さがわたしは嫌いで、ああ、また話がずれ込んでいる。