屋上から飛び下りても、オレは当然無事だった。骨は折れたが、まあオレは天才だからそのぐらいのことはどうにだってなる。自分の手で直す。いつものことだ。 666回の事故と、1回はオレを決して殺さない。この舞台は、そういう仕組みで出来ている。あの女は、それを知らないらしい。さてはお前、特撮見たことないな? あいつらだってどんだけ高い所から飛び降りようが爆風背負って出てこようが無事だろうが。履修しろ履修。 馬鹿みたいにぞろぞろ集まってきた奴らの中にあの女の姿は無い。おい、お前が見てなくてどうする。誰の為に飛んでやったと思ってやがる。
「……死にます、ねえ」 どこまでも捻りのない台詞。書類の裏に書かれたそれは、どこまでも薄く、そして陳腐だ。これで本当に天国の死体でも上がってくればドラマチックかもしれないが、オレがこんな冗談を言えるのも、あの女が本当に死ぬことができないと理解しているからに過ぎない。ここまでして、あの女に出来たことが家出とは、割に合わないことをしている。 「ど、どうしましょう……」 「……もう良いだろ。あの女は、天国はどうせ死なねえよ。死ねねえよ。今はただ逃げてるだけだ。どうせ直ぐに」 「……でも、それは」 「死なないからオレ達はヒーローなんてのをやってられるんだ。舞台から下りなければ、舞台に上がれば、何にだって成れる。だから死ななければ、あの女にだって──────」
──────本当に? このオレが、台詞を淀ませるぐらいには、その疑問は思考を停止させた。 あの女が、舞台に上がっていないなんて誰が決めた? 本当に、上がっていなかったのか?上がっていないのなら良い。上がれないだけなら、あの女に必要なのは、手を引く誰かと、背を押す誰か、そして少しの勇気だ。 もし、もしあの女がとっくの昔から舞台の上に、たった一人で、誰の助けも借りずに、上がっていたのなら。あの女の人生を、舞台を、見ている人間なんて誰もいない。いやしない。あんな陰気な女を、一体誰が目に留めるだろうか。あんな陰気で、背の曲がった、笑うことすら下手くそな女を、誰が。
「僕、前に、天国さんに言われたんです。三津木くんが、羨ましいって」 苦笑しながら、声は紡がれる。 「最初は嬉しかったんですけど、でも、天国さん、ひどいなあって、思ったんです。だって、きっと本当に羨ましかったのは、僕じゃなくて、選ばれたことだったんですよね」
「僕だってそうです。きっと、一度でも良いから、選んでもらえたら」
「……ずっと、報われてしまいますよね」
▽
天国さんは、普通の女の人でした。よく、普通、という言葉は普通ではないことと比較して使われてしまうけれど、僕は良いことなのだと信じています。幸福でなくとも、幸いがあるように。どこにもいけない人たちなんていないのだと、そう思いたいから。
天国さんは、いつも泣いていました。大人の人でも泣くんだなあ、とぼんやりとした頭で思ってしまうのは、どうしたらいいか分からなかったからです。ヒーローでもどうにもならないことがあって、でも彼女が泣くことで世界が終わるわけでもなく、そのことを喜んでいいのかよく分からない僕がいます。だってきっとそれは、寂しいことですから。 彼女は、朝になると人が変わったように、慣れたようにして自分の昔話なんかして僕のことを笑わせようとします。僕は普通に笑ってしまうのですが、その内容は、彼女にとってはきっと苦痛でしかなく、だから笑いながら、後ろめたさがありました。彼女はよくあの時死んでおけば良かった、とケラケラ笑いながら言います。高校生の時、彼女は窓際の席で、外を見ながらそう思っていたそうです。 どうしてそんなにこの人は、自らの傷を楽しく話せるのだろうと思って、一度聞いてみたことがありました。 辛くはなかったんですか。 その答えは、すぐに返ってきました。明日の天気を聞いた時のように、本当にすぐに、考える暇すらないぐらいに。 辛いよ。ずっとずっと、辛いよ。 僕はその答えに愕然として、それからなんてことを聞いてしまったんだろうと首がしまる心地を味わいました。その様子に、天国さんが気づかないわけがありません。彼女はなんだって気づくのです。机の下に落ちたゴミ、冷房が効きすぎていること、誰の機嫌が悪くて、機嫌が良いのか。そしてその原因は何なのか。他人から自分がどう見えているのか。彼女のこころはアンテナのようだと思いました。
ごめん。言ったら、笑えなくなっちゃうね。面白い話が出来なくなっちゃうね。