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「おい、バイト。私は、この店を……というか屋台から出て右手にあるスーパーに行けと言ったよな」 「はい店長!店長に貰ったメモにも書いてありますよ?」 「…………なのに何故お前はこの私の目の前で左に曲がったんだ。言ってみろ」 「だって、分からなくないですか?」 「は?」 この時のイシカナの頭には血管が浮き出ていた。ピキピキと迸るそれは道行く人をタピオカ屋台から遠ざけたのだが、本人は知る由もない。そして一方のバイトも、ニッコリ笑ってこんなことを言うばかりだ。 「いやだって、右って言われても、本当にこれ右?って不安になるじゃないですか。もしかしたら生まれた時から私の右って間違ってるのかと思うとヤバい!!!罠だ!!!と気づいて慌てて引き返してきました。そして左に」 「?」 ?なんて?とイシカナの脳内には宇宙が浮かんだ。全然分からん。いや言葉は分かるけど意味が分からん。今の若いもんって皆こうなの?脳内でドラウスがヴェーッ!と泣きわめき出したのでそれを殴って黙らせる。そうして余裕を取り戻すためにゴホン、と態とらしく咳払いをしてみせた。 「というか店長、私は面接の時にお伝えしたはずです。私は脳のつくりがちょっと他の人と違っているので、基本的に私に指示するのはおすすめ出来ません。忘れるか意味を誤解するか忘れるか忘れるか忘れるかするので!あと右には曲がれません!」 「グエーッバイトの分際でこの女ーッ!!」 そう喚き散らかしたイシカナが思わず炎を身にまとっても、バイトである女は、ニコニコとそれを眺めるだけだ。

そう、この物怖じのしなさ加減と肝の座りそう様こそが、イシカナが未だにこの女を雇っている理由だった。変態蔓延るこの魔都シンヨコで接客業をするのは並大抵のことではない。そろそろ事業拡大を目論んだイシカナが雇ったバイトは、皆変態達に何かしらの被害を受け去っていった。あと普通にその変態本人だったこともあった。そうしてヤケクソになったイシカナがろくに面接も採用したのがこの女なのであった。 とっとと辞めてくれと常日頃イシカナは祈っているのだが(※不当解雇によって訴えられることを恐れているため)、あろうことか彼女は動じなかった。店員としてのプロ意識だけは人一倍あった。どこまでも狂いのない微笑みでマイクロビキニの吸血鬼に対し「ご注文の品です!」とハキハキとタピオカの入っていないタピオカティーを提供していた。どうして気づかなかったのかとイシカナが問い詰めれば「今ここがタピオカ屋台ってこと完全に忘れてました。そういやタピオカティーってタピオカ入れなきゃか……」と迫真の答えが帰って来たので、イシカナの口からは魂が抜けた。マイクロビキニですら呆然としていた。

「大丈夫です店長!私も一緒にマニュアル作り手伝います!私の経験上、マニュアル作ったら店長のお手を煩わせずに済むかと!マニュアル五冊ぐらい作れば!」 「五冊!?多すぎだ馬鹿!」 「いえ、絶対二冊は家で覚えようとして持って帰って紛失、二冊はなんやかんやで駄目になるので五冊です」 「給食エプロンみたいな扱いをするなよ……」 「うわ、懐かしい。あれ私の順番で五回買い換える羽目になりました。あはは!」 「頭が痛くなってきた……どうして私はこんな女を……」 「店長、もっと前向きになりましょう!大丈夫です、私を雇った店長はきっと店長として更なるステージに進めます!」 「お前にだけは言われたくない!!!」 「今まで私を雇った店長は皆『もうどんなバイトが来ても怖くない』『教育の難しさと重要性を知った』『店長としての試練だったのかもしれん』と仰って私をクビにしていましたし!」 「なに?そういうランク解放任務みたいな扱いされてるの?……はあ、もういい。苦手なことをするより、得意なことを伸ばした方が建設的だ。お前、得意なことはないのか」 「得意なことですか」 むむむ、と笑顔のままわざとらしく顎に手を当てた女は、うごうごと考えている様子だった。そのあまりの長考っぷりにイシカナが冷や汗をかき始めた頃、女は「あっ」と声を上げた。 「一個ありました!」 「ほう、なんだそれは」 「私、絶対怒りませんよ!何されても怒りません!」 「……………………」

イシカナの体からは魂が抜けた。自分が彼女をバイトとして使いこなすことは、それこそ猿にシェイクスピアをタイプさせることぐらい難しいと悟ったからだ。

「よう姉ちゃん!今ジャンケン勝ったらタピオカ増量やってんだって!?ついでに野球拳もしようぜェ……!」 「………………よしいけバイト!」 「ラジャー!店長おまかせを!私この人に服脱がされても絶対怒らない自信あります!」 「そ、それはそれで逆に怖い。なに?罠?」

そうしてイシカナは考えることを止めた。 現実逃避とも言う。

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「おまたせしました!タピオカミルクティーです」 「ああどうも…………えっ、いや、えっ?」「お客様?どうかなされました?」 「いやあの……た、タピオカしか入ってな……」 「はい?」 「はい!?えっあれ俺がおかしいの!?」 「お客様、ご要望は堂々と仰られた方がよろしいかと!」 「た、タピオカしか入っていないのですが!?」 「はい。それがどうかしましたか?」 「ウワーン!この店員怖いよーッ!!!」 「おい店先で騒ぐな」 カウンターの下でガタガタと震えるドラウスを半目で見ながら、イシカナはその提供されたタピオカミルクティーを見た。なるほど確かに、タピオカがみっちり詰まっている。ティーの欠片も無かった。 「おいバイト、ミルクティー入れ忘れてるぞ」 「あっ」 「ほらー!やっぱりそうじゃん!俺間違ってないじゃん!」 「いいかドラウス、こういう時は最低限『ある』方じゃなくて『ない』方を言うんだ。じゃないとこいつは混乱する。省略された言葉を読み取るのが苦手だからな。より正確に言うのなら、『タピオカとミルクティーが入ったタピオカミルクティーを注文したいのですが』だ。ここにも張り紙がしてあるだろう」 確かに、イシカナが指を指した方を見ると、A4の紙に『注文は商品名だけではなく内容物も一緒にお願いいたします』と書かれている。てっきりドラウスは定休日だとか書いていると思って見逃していたのだ。 「客にそんなことを要求するのか?この店は」 「はい!」 「…………」 バイトと呼ばれた少女がニッコリと笑って返事をするので、ドラルクは何も言えなくなった。 「結果として、私の特性に合わせて貰った方がお客様も怒らずに済むかなって。ほら、最初から『この店員は注文をありえないぐらい間違えます』って宣告してた方が、そうなった時のショックも和らぐでしょう?」 「いや、そんな店にはそもそも来ないが……」 「だからこうしてA4サイズにしてるんだろう。近くに来ないと見えないように。大抵の人間はここまで来ると今更やっぱいいです……と背を向けにくいものだ」 「ひ、卑怯な……!」 バリバリ心当たりのあるドラウス(店員に注文を間違えられても中々切り出せないタイプ)はイシカナを睨みつけたが、当のバイトは「流石店長です!」と拍手をしているものだから、途端に馬鹿らしくなった。あと店員のことがますます怖くなった。

イシカナの店は今現在移動式になっている。流石に石焼き芋屋ほど自由では無いが、特定の場所を転々とする。そしてこれが目下のバイトの問題であった。 「………………」 来ないのだ。あの少女にとって、よくある形態……つまりは特定の場所に特定の時間に行く、ということだけでもハードルは高い。それなのに場所が複数、日によって変わるとなるとそのハードルは高くなる。今日も今日とて少女は時間を大幅に遅れて、走ってやってきた。今日は三十分の遅刻。これでもまだいい方で、酷い時は電車を乗り間違えまくり三時間遅れたこともある。ちなみにその日の労働時間は一時間だった。 「っはぁ……す、すみませっ……遅れて……」 「今日は三十分か。直ぐに連絡出来たのは偉いぞ。前は私に連絡するという発想すらなかったからな」 一回目、少女はイシカナに連絡を取るという発想が出てこず、今まで店が出た場所を順繰りに回ってきたのだという。『いや連絡したら一箇所で済んだだろ』とイシカナが指摘した時の彼女は膝から崩れ落ち『たしかに……!』と実に悔しそうな声を上げた。それは正直イシカナ的には面白かったのだが、流石に同じことを繰り返されては困るので、とりあえず何かあれば連絡をしろ、と言いつけたのだ。この『何か』というものも少女の中で判断が難しかったらしく、おかげで『側溝にハマりました』だの『学校に遅刻しそうです』だのどうでもいい連絡も来るようになってしまったが、まあ何も言われないよりはマシだった。 「それで、今回はどうやって来たんだ」 「はい!まず電車を間違えました」 「想定範囲内だな」 「戻ってきたはいいものの……自分の遅刻が自分のせいであることに耐えられず……コンビニに行っておやつ見てたら次の電車にも乗り遅れて……」 「毎度のことだがよくその状況から回避癖を発動させることが出来るな……」 「えへへ。あ、これグミです」 「…………」 酸っぱいグミを食べながら、その日のイシカナはタピオカを売りさばいた。

さて、そんな事があった数日後。 シンヨコには絶賛台風が襲来していた。もう何日も前から未曾有だとか実に人間らしい尺度でニュースになっていったそれは、イシカナのタピオカ屋台も一時間閉店に追い込んだ。いや別に、イシカナ自体は台風が来ようがへっちゃなのだが、人間はそれに耐えられない。つまり客が来ないので、店を開けるだけ損なのだ。 タピオカの研究でもするべきか、と思えども、外がどんよりと曇っていると何だか気持ちも暗くなってくる。昔は一人でいても平気だったのに、今はすっかりこの街の騒がしさに慣れてしまって、一人でいると退屈でしようがない。 「仕方ないな……寝るか」 サブスクで映画を見る気にもなれず、イシカナは寝ることにした。だからその時出てきたチャットの通知にも気が付かない。 結局、イシカナが起きたのはそれから数時間後。外を見ても相変わらずの曇り空で、窓はガタガタと揺れている。どうやら台風はさらに酷くなっているらしい。もう一眠りするか、と思ったイシカナは台風の進路を確認するために端末を取り、二度見した。 『今日はどこですか?』 『ごめんなさい、また遅れます!』 『電車止まってるからもっと送れます!』 『変換ミスった。遅れますって言いたかったです』 『怒ってますか?』 『おーい』 『店長?』 『店長が怒ってても私は怒らないので!大丈夫です!』 「何が大丈夫だあのバカ……!」 慌ててイシカナはマントを羽織って外に飛び出した。外は大雨に強い風。お手本のような台風日和。濡れそぼった画面に苦戦しながら『今どこにいる』と打っても返事は無い。電話をかけても繋がらない。 イシカナは雨に打たれながら、この雨だし彼女 はもう返ったんじゃないか。諦めたんじゃないか。というようなことを考えた。考えて────そんなことを考える脳内の自分を殴り飛ばした。 自分は一体なにを見てきたのか。彼女は絶対に来る。絶対に。そしてそれは彼女が馬鹿だからだけではないし、『頭が少し変』だからでもない。彼女が───彼女が、絶対に来る人間だと知っているからだ。どれだけ遅れても、間違えても、右に曲がれなくても、やって来る人間だからだ。 雨ニモマケズ風ニモマケズ、ではないけれど。『そういう人間』とやらにイシカナはちっともなりたくはないけれど。イシカナは歩き続けた。一つ一つ、店を出した場所を回った。 「…………おい!」 「あ!店長!」 いた。濡れ鼠という言葉では形容できない、滝に打たれた修行僧並の彼女がそこにはいた。公園の真ん中に、傘もささず、それは堂々たる有様だったので、イシカナは呆れて笑うしかなかった。 「店長が遅刻なんて珍しいですね」 「あ!?聞こえないぞ!なんて!?」 「店長が!!!遅刻なんて!!!珍しいですね!!!」 「うるさっ。………普通なあ!こんな天気で屋台できると思うか!?」 「だって!!普通って難しいですもん!!普通ってなんなんですか!!」 「知らん!!私に聞くな!!」 大声を無駄に張り上げるバカ二人は、そのうち疲れてどちらともなく黙った。二人して公園の滑り台の下に入って、ほんの少しだけ雨風を凌ぐ。 「休みなら休みって言ってください」 「今度から台風は全部休みにする」 「私それ絶対忘れます」 「じゃあ毎回言うよ……」 「…………私、普通とかそう言うのわかんないですけど」 雨風に消えそうな声だった。けれど、楽しげな声だった。そんな声で、少女はこう続ける。 「分かんないから、楽しいこともありますよ。案外」 「例を出せ、例を」 「台風の下で店長と大はしゃぎ」 「大はしゃぎってなあ…………」 イシカナは呆れた。呆れたし、自分の口元に浮かんでいる笑みには、気づかないふりをしてみせた。

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