当時の紀ノ国寧々にとって、同学年の三沢寒太郎という少女はUFOよりも奇天烈な存在だった。まず第一に『あの』三沢の、たった一人の生き残りであること。第二、彼女の調理はいつもまるで人が変わったように行われること。第三に、冬になるといつも学園から姿を消すこと。そして、第四───これが紀ノ国にとって一番不思議なことなのだけれど───彼女は、あの叡山の仲が良いというのだ。 勿論、叡山はそれを死んでも認めないだろうから、紀ノ国はそれを彼本人に話したことは無い。それでも寒太郎という少女がいつも親しげに話しかけるのは叡山という男ただ一人だけだった。 叡山という、金儲けにスキルを全振りした粗忽なヤンキー(紀ノ国にとってはこう見えている)が、彼女のような明るく誰にでも優しい、実力のある料理人と親しげにしているというのは、紀ノ国にとって不思議を通り越して釈然としない事柄なのだった。 一度そんな話を同じ部屋で作業をしていた一色に零すと、彼は苦笑して「彼等は中等部の頃からの仲だからね」と言う。そういえば一色も三沢も同じ極星寮の人間だったと、紀ノ国が思い出したのはこのタイミングだった。 「だとしても全然想像がつかないわ。中等部の頃からあの男は守銭奴だったでしょうに」 「あはは。まあ、叡山くんはそうかもしれないけれど」 「……何、その含みのある言い方は」 「いや何、僕も彼女のことを全部知っているわけじゃないからね」 そう微笑んだ一色は手元の資料に目を落とし、これ以上何も話すことはなくなった。そういう所が嫌いなのよ、と内心で紀ノ国は愚痴り、また彼女も手元の資料に目を落とす。

紀ノ国は、彼女の食戟の様子を一度だけ直接目にしたことがある。高等部一年の時、秋の選抜に彼女は選ばれていたからだ。 そもそもの話として、三沢家はまずそのスタンスから特殊だった。三沢家は江戸時代から続く伝統ある一族だが、その起源は料理というよりも料理勝負にあった。ある意味、食戟の先駆けとも言えるだろう。 初代である三沢琴が始めたそれは、料理勝負を興行的に行うというもので、当時からその事に対する批判は噴出していたらしい。料理は見世物ではない、挙句の果てにそれを茶化して金を取るなどけしからん、などとまあ現代でも噴出しそうなそれ。その影響で、今でこそ数は減ったが所謂老舗と呼ばれている店から、三沢は未だに嫌われている。現に紀ノ国の親もそうだった。 話を戻すと、発案者である三沢琴もまた当時にしては珍しい女性の料理人であり、死ぬまでの数十年間、ずっと料理勝負の場に立ち続けたとされる。 彼女は徹底して調理を『見世物』として扱い、自身が調理を行う際にもわざわざ大仰な仕草をした。いつだって彼女は観客に向けて話していたし、無意味に笑い、無意味に回り、時には無意味に狂ったりして見せた。その大立ち回りは大衆には受けたようで、三沢家は一代で莫大な富を築いた。そして二代目、三代目……と今現在まで受け継がれていくのだが、彼らには一つ奇妙な点があった。 同じなのだ。何代受け継がれようが、性別が変わろうが、全員が初代と同じ動きをする。同じ手さばき、同じ足運び、そして同じ口上。その全てが三沢琴の生き写しであると、百年近く語り続けられてきた。そうしてそれは、三沢寒太郎という少女も同様に。

『─────東西東西』

開始のブザーと共に、そんな声が響き渡る。食戟だというのにも関わらず、少女の視線は常に観客の方に向いていた。彼女は大仰な仕草で一礼をしてみせて、笑う。お手本のような、綺麗な笑みを見せる。 『皆様、今日はお足元の暗い中、ようこそいらして下さいました。我ら役者は影法師と何処ぞの戯曲家は仰いましたが、私からして見ると皆様が影に見える。真っ暗闇の影から皆様、私のことを嘲笑しておられる!』 紀ノ国は、眉をしかめた。彼女にとって、どこまでも作り物めいたそれは酷く煩わしいように思えた。対戦相手はもう調理に入っているというのに、彼女はベラベラと詭弁めいたことを捲し立てている。それでも─────どうにも、『目に付く』のだ。彼女が手を伸ばせば、そちらに目が行く。彼女の声を遮る調理の音が、煩わしく思える。彼女の視線に、気がつけば誘導されている。それが彼女の、より正確に言えば三沢の持つ力だった。調理場という舞台の上は、不可侵領域であることを料理人なら誰もが知っているだろう。権力にも、金にも、何にも邪魔されない。 だからこそ三沢という家は確固たるものだった。過去にも三沢の後を追うような家が出てきたことはあったが、そのどれもが潰れた。紀ノ国でも詳しいことは知らないが、とかく三沢の継承にはどの家も勝てないというのが専らの噂だった。今こうして目の前の舞台で微笑んでいる少女が、何を考えどうやってその振る舞いを覚えたのか、紀ノ国には見当もつかない。

結局、三沢寒太郎はその食戟になんなく勝利し、次は紀ノ国と当たるはずだった。 ─────ただ、結果としてそうはならなかった。三沢はその食戟を棄権し、紀ノ国の不戦勝となったからだ。 この事実は、彼女のプライドを大いに刺激した。まだ身内に不幸があったという理由ならば納得出来るものの、風の噂を聞けば彼女はただの体調不良なのだという。自分の体調も管理できない料理人なんて、紀ノ国からすれば同情の余地もない。 そうして直接文句の一つでも言ってやらないと気がすまなくなった紀ノ国は、あれだけ(主に一色のせいで)忌み嫌っていた極星寮のドアを一人で叩いた。一色が出てこないことは確認済みだったが、かと言って髪の長い陰気な女が出てくるとも思わなかった。 「…………なにか」 灰色のスウェットに素足、ぼさぼさの髪はどうやって見ても学校の生徒とは思えない。そこでようやく、紀ノ国はこの目の前の陰気な女こそが三沢であることに気がついた。あの仰々しい仕草とは打って変わったその様子に紀ノ国も若干動揺しながら、それでも「貴方に……文句を言いに来たんだけど」と端的に、ここに来た理由を述べた。元より寮の中に入るつもりは無かったが、三沢も三沢で中へどうぞとすら言わないものだから、それはそれで腹立たしい。三沢は眠たげな目で「……はあ」とだけ言う。続きを促しているでもなく、ただの相槌なのが一目でわかった。 「秋の選抜、私は貴方に不戦勝という形を取らされてしまった。それが私には納得がいかないの。だからもう一度、私と食戟をして頂戴」 そうして紀ノ国が差し出したその食戟の申請書類を、三沢はぼんやりと眺めた。じっと見るだけで、反対もしなければ賛成もしない。紀ノ国がいることも忘れたかのように、ぼんやりとした目が紙をなぞるだけの時間が続く。 「……ちょっと、いい加減に……!」 そう紀ノ国が声を荒らげても、三沢は眉ひとつ動かさない。ただただ、時たま動く瞼だけが彼女が生きていることを示している。だから紀ノ国はどうしようもなくなって、結局その書類を押し付けてその場から去ることにした。

─────その、丁度二ヶ月後に三沢寒太郎の自殺未遂事件が起こった。 紀ノ国は詳しいことこそ何も知らないが、当日のことは今でも覚えている。確かあの日、三沢と叡山の食戟の予定が入っていて、結局自分とのそれは棄却したのにこれは受け入れるのかと苦々しい気持ちになった記憶がはっきりとある。そうしていつものように十傑としての仕事をしていれば、救急車のサイレンが遠くから流れてきて、慌てて彼女は窓の外を眺めた。調理学校ということもあり、初めは火事かと思ったもの警報機の類は一つもは作動していない。余計何があったのかと顔をしかめる彼女が次に見たのは、この十傑が集まる部屋に入ってきた叡山と一色だった。 「…………な、なに、それ……!」 ただし、彼等の制服は血に染っていた。動揺した紀ノ国を真っ先に諭すように「大丈夫、これは僕達の血じゃないし誰かが殺されたとかでもないから」と、それでもいつもよりずっと早口で一色が声を出す。 「だからって……じゃあそれは誰の血なのよ……!おかしいでしょ、そんな量……!」 そう焦った声を出す紀ノ国に、一色は困ったように口を噤んでしまう。代わりに声を出したのは、恐ろしいほどに冷静な顔色の叡山だった。 「─────三沢寒太郎だ」 「……え、」 「それ以上は、」 叡山を止めるような口ぶりの一色を無視して、叡山はそのまま「あいつが、自分の腹に包丁ぶっ刺した。今は……救急車で運ばれてる」と淡々と全てを話す。その惨状を想像しただけで紀ノ国は動揺して、思わず窓枠にもたれかかって尻餅をついた。 一色は誰に向けるでもない厳しい顔をしていたけれど、叡山の様子だけはいつも通りだった。三沢と仲がいいらしいその男が普段通りの、実に億劫そうな瞳で遠くなっていくサイレンを眺めているのが、紀ノ国の頭に恐ろしいものとしてこびり付いて────今でも離れないのだった。