夜、自室の扉がノックの音を立てる。こんな時間に誰だろうと、寒太郎は読んでいた本を閉じ、そして扉の前にある即席のカーテンを閉める。こうすることで、部屋の中を見られることを防ぐためだった。 そんな小細工をしてドアを開けると、見覚えのある男が笑いながら立っていた。 「よう、三沢の娘っ子。久しぶりだな」 「城一郎さん…………葬式、以来ですね。お久しぶりです」 葬式という言葉を、寒太郎は自分と城一郎以外に誰もいないことを確認してから発する。そんな寒太郎の考えを読み取ったのか、城一郎は苦笑した。 「安心しろ、誰もいない。こっちが無理言って会いたいって言ったんだ。そんぐらいはしないとな」 「……そうですか」 「にしても、よく何年か前に一度会った人間のことを覚えてたな。流石……」 そこで城一郎は言葉を区切り、寒太郎を見る。その顔色は薄らと青白い。 「……いや、悪い。どうも息子を持つと色々無神経になってな」 「…………息子、創真くん、ですよね。通りで、幸平なんて珍しい苗字ですから……」 「おっ、やっぱ気づいてたか。あいつ、三沢の人間から見てどんなもんかね」 城一郎はがはは、と豪快な笑い声を上げて近くの柱に凭れ掛かる。 寒太郎は、少し考えて「いいひと、ですよ」と言ったものの、それは城一郎の「遠慮しなくていいから」という言葉に一蹴された。 「…………創真くんは、」 「おう」 「遠月学園で、とても珍しい子だと思います。いつも笑っていて、でも、それは捨て鉢なんかじゃなくて……楽しそうに料理をする子。だから私は創真くんのことが────嫌いです。大嫌い」 「っははは!大嫌いと来たか!」 「すみません、お父さんの前で、こんなこと」 寒太郎は床を見ながらそう答える。城一郎のこの朗らかさが、彼女にとっては幸平創真と同じほどに苦痛で、そして何より、彼が自分を通して両親の姿を見出しているのが、酷く苦しかった。頭が割れるように痛むけれど、寒太郎はそれを表情に出さない。こんなことにはもう慣れきってしまっていて、今更表に出す理由を思いつかなかった。 「いやいや、寧ろ光栄ってところだな。創真に言ってやったら喜ぶんじゃねーかな」 「…………変な人」 「っと、そうだ。本題を忘れてた」 「……本題?」 自らの息子である幸平創真の話をしたかったのでは無かったのか、という疑問と、この人間はこんなにも本題以外のことをベラベラと話すことができるらしい、という僅かな呆れが寒太郎の頭を即座に過ぎる。それを見抜いたのか見抜いていないのか、城一郎ははは、と笑って寒太郎に一歩近寄った。 「銀がな、心配してんだよ。お前のことを」 「…………」 堂島銀。この学園で知らない人間はいないだろう。遠月リゾートの総料理長兼取締役会役員であり、食戟の審査員として顔を出すことも何度かあった。 そして三沢寒太郎にとっては────後見人にもあたる存在。 「アイツ、言ってたよ。結局今自分達がしてることは、エゴなんじゃないかって」 「そんな!違います!私、堂島さんに感謝することはあっても恨むことなんて……」 「おっ、デカい声」 揶揄うような言い方で、寒太郎は我に返った。どうにもこの人といると調子が狂う、と内心で愚痴ってみる。 「……す、すみません」 「いいよ。嘘じゃないって分かったからな」 「……私が、去年したことは、私の責任です。堂島さんのせいでも、ましてや叡山くんのせいでも、ありません」 「叡山……ああ、今の第九席だったか?」 「…………」 第九席。その言葉を聞いて、寒太郎は不思議な気持ちになる。『そういえば、そうだった』と、遠い昔話を聞いた心地になる。だって寒太郎にとって、『そんなこと』はどうでもよかったから。たった一人の少女にとって、本当に大事なことは、もっと他にあったから。 「まあその叡山ってやつのことは知らないけどな。少なくとも、銀のやってることはエゴだと思うぞ」 端的な言葉。てっきり、城一郎は銀を庇うようなことを言うかと思っていた寒太郎は、その軽やかな口調に驚いた。 「なんで、そんなこと言うんですか。お友達なのに……」 「それはちょっと違うな。友達『なのに』じゃなくて、友達『だから』言うんだよ。そいつの事が好きだから、言うんだ」 「……城一郎さん、堂島さんのこと、好きなんですか。そんな、酷いこと言うのに」 「そりゃ好きだな!あんな面白いやつはいないだろ!それに三沢のことだって勿論好きだった!」 「…………」 城一郎は笑っている。そんな彼の言うことは、あまり寒太郎にはよく分からなかった。好きだから、相手に嫌なことを言う。でもそれは意地悪ではなくて、相手のためなのだと言う。もう一度考えてみても、寒太郎にはよく分からない。でもそれは、別に嫌な感じもしないのだった。 「……そういう、ものですか」 「そうそう。そーいうもん」 「なら、覚えておきます」 「おっ、三沢のオジョーサマに覚えていただけるとは恐悦至極」 城一郎がそんなわざと巫山戯た言い方をするものだから、思わず寒太郎は小さく笑ってしまう。城一郎はそんな寒太郎を見て、僅かに目を細めた。 「話、戻すけどな。あいつのやってることはエゴだよ。だからお前がエゴで返したって、それは恩知らずなんかじゃない。それでようやくトントンなんだよ」 「…………」 「だからさ。なんかやりたいこと、見つけられるといいな」 「…………はい」 「あと良かったらうちの息子と仲良くしてやってくれや」 「それは、どうでしょうね」 「はは!騙されねーな!」
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「……寒太郎はどうだった」 階段から降りてきた城一郎を迎えたふみ緖は、少し低い声でそう問いかける。城一郎は苦笑して「よく似てたよ」と答えてみせた。 「そういうことじゃなくて───」 「うそうそ、分かってるって。元気、とまでは言えないんだろうけど、まあ、普通に会話はしてくれたさ」 「……そうかい」 「何?不満?」 「あの子の周囲の大人は皆、あの子に余計なことばっかり言うんだよ────あたしも含めてね」 ふみ緖はそう零して乾物を奥歯で噛みくだく。城一郎は「だとしてもさ」と前置きして口を開いた。 「やっぱ、友達の一人ぐらいは作って欲しいだろ。元遠月学園の人間としてはさ」 「フン、そこは極星寮って言うべきだね」 「確かに、そりゃそうだ」 そこまで言った城一郎は笑みを消し、ふみ緖の目の前に座り込む。そして彼女の目を見て、こう問うた。 「なあ────あの子が、本当に去年の冬に、自殺未遂をしたって言うのかよ」 「……そうだよ」 「……本当に?」 「ああ、そうさ」 その場ではふみ緖が茶を啜る音だけが響く。調理場から零れる明かりと、一年生が騒ぐ声を留め置きながら、目を細めた。 「どこから話したもんかねえ……」