『わあ!すごおい!』

───ああ、嫌な夢だ。 立花は顔をしかめたつもりだけれど、この夢の立花は、三年生の、つまりは過去の立花で。まるで演劇を見ているかのように、どうすることも出来ない。目の前の少女から目を背けたくとも、まだ何も知らない幼い立花は、その少女の無邪気なその瞳から、目が離せない。 桃色の装束に、丸なんかの記号が描かれたそれ。目の前の彼女がくのいち教室の一年生、くのたまであることを、立花は理解する。

『…………なんだ、お前』 『?やだなー、どう見たってナンじゃないですよ私。人間です!』 『そのナンじゃないが……!?この時代にナンは無いだろう!?』

ああ、そうだった。実にこの腹立たしいやり取りが、彼女と交わした最初の言葉だった。 つっけんどんな態度だったが、これ自体は特段珍しくは無い。くのたまに苦渋を──いや、実際に苦汁を飲まされた忍たまは多い。立花だってその一人だ。だからこうやって褒めてくるくのたまのことを、忍たまは疑ってかかるのだ。喜車の術だとかいうものも習ったのだし。

『せんぱいは、すごく格好いいなあ、と思ってみてました!』 『……ああ、そうか。ありがとう』 『だってこう、あの、すごくすごいです!』 『語彙が無さすぎるが、まあ、ありがとう』 『すごくすごく、すごいです!私もせんぱいみたいになりたくて!どうしたらいいですか!』 『どうしたらと言われても……』

必死の身振り手振りの割に情報量が無さすぎるそれが、段々と煩わしくなってきた立花は、そうだ、とあることを思いつく。そっちがこちらを騙す気なら、こっちが先に騙してやろう。 わざとらしく立花はごほん、と咳をして、ぴんと人差し指を立てる。少女はそれをキラキラとした目で見つめた。 『実はな、秘密の修行場が裏裏裏山にあるのだ』 『秘密……!?』 『ああ、そこでは私の師が、特別な訓練をしてくださっていてな。そこにはその……まあ、なんだ。特別な訓練のための特別な道具や設備がある』 『特別な訓練のための特別な道具や設備……!?』 『ふふっ、ごほん、そうだ。だがな、秘密だからな……』 そこでわざとらしく少女を、ちらっと見れば、彼女は口のうずうずと波立たせているので、ここでダメ押しとばかりの一言。 『だが、まあ……私のことを少しばかり手伝ってやれば、その場所を教えてやらんでも、』 『はい!はいはいはい!お手伝いします!』 思っていたよりもずっと食い気味にこられて、若干引いた立花だったが、まあこれで体のいい使いっ走りが手に入った。騙されていたと気づくその時まで、こき使ってやろうと、そんな事を考える。 『せんぱい、約束ですよ、指切りをしましょう』 『……まあ、構わないが』 そんな事を考えていたから、反応が遅れた。反射的に、小指を差し出せば、彼女の細っこい小指が絡まった。 『ゆーびきーりげんまーん嘘ついたら──────』

先の言葉は再生されなかったが、それは忘れているからではなく、恐れているからだ。記憶の奥底で、大事にしまい込んでいるからだ。目の前で童歌を歌った彼女を、今の立花は、目を細めて見つめた。彼は六年生になってもなお、この時の言葉に、呪われている。

場面が変わる。食堂だ。まだ幼い、潮江や七松、中在家といった、今良くつるんでいる同学年達と、一緒に昼食を取っている場面。 『たちばなせんぱい!』 元気な声がしたかと思えば、忍者らしからぬドタドタとした足音。振り向けば、泥まみれの少女がそこに立っている。手にはいくつかの植物があった。 『せんぱい!頼まれたやつとってきました!』 『うむ、ご苦労。次はこれを頼むぞ』 『はーい!』 立花がリストを渡せば、少女はくるりと背を向けて、食堂からバタバタと出ていく。そんな光景から目を離し、立花はその植物を善法寺の方に置いてやる。 『ほら、これ、お前が欲しがっていたものだろう』 『えっ、あ、うん……そうだけど……』 『また何かあれば頼むといい』 そう言いながら箸を動かす立花に、七松は不思議そうな顔をして、こう問いかけた。 『あのくのたま、最近ずっとお前の周りをウロチョロしてないか?』 食満も同調したように『確かに。めちゃくちゃ見るよな』と頷く。中在家は黙ってこそいたが、その視線は疑問を浮かべている。 『ああ、まあ、ちょっとな。小間使いのようなものだよ』 『お前、くのいち相手によくそんなことが出来るな……』 『くのいちはくのいちでも、まだたまごだろう。それにあいつは忍者には向いてなさすぎる。嘘にもすぐ騙されるし、感情が顔に出すぎだ』 『まあ、確かに、███とは違うタイプっぽいけど……』 善法寺が名前を出したのは、立花と同学年のくのいちだった。彼女はあの後輩とは違い、あまりにも才能がありすぎた。特に近接戦闘では、全員が彼女にボコボコにされているので、彼女と仲がいい善法寺以外、彼女のことが苦手だった。今も名前が出た時点で、空気がぴりっとしたものになる。 『でもさ、悪いよ。大して話したこともない彼女を使いっ走りみたいにするのは。こうやって彼女がいないところで……その、話をするのも……あんまり良くないんじゃないかなあ』 困ったように笑う善法寺に、立花は暗に責められたように感じられて、ツンと顔を上げる。 『お前はあの女がどれだけうっとおしいか知らんからそんな事が言えるんだ。最近、毎日毎日休み時間に教室に来ては、やれあれを教えてくれこれを教えてくれだの……対価を求めるのは当然だろう』 実際、立花は彼女に何を教えるでもなくのらりくらりと躱しているのだが、それを言うとまた正論を言われそうだったので、敢えて言わずに置く。 『うーん』 『つくづくお前は忍者に向いてないな。使えるものはなんでも使えばいいんだ』 『忍者に向いてないのは認めるけど……あの子、何だかちょっと心配なんだよね。行動力がありすぎるって言うか』 『心配?』 同室の食満には若干気安くなる善法寺が、その言葉に声のトーンを軽やかにする。彼も彼で言い難いことを言っている自覚があったのかもしれない、と六年生の立花は、過去を振り返りながらそう思った。 『だってこの薬草、結構な標高のところにしか生えてないよ。こっちは湿度が関わるから、場所も限られてくるし……一年生の子が取るには、危ういんじゃないかな』 その言葉に、立花の箸が止まる。 『…………別に、彼女も一人で取ったとは言ってなかっただろう。誰かと一緒に行ったのかもしれん。そんな場所なら、元より一人で行けるわけもないんだからな』 潮江のフォローのような言葉も、今の立花にとっては、ささくれと同じだった。流し込むようにして残りを腹に納め、席を立つ。食堂後ろは振り返らなかった。

──────ああ、またこの夜だ。 木々が揺れる。扉がガタガタと音を立てて、酷い雨が降っている。 立花の悪夢は、過去を右往左往するが、最後はこの嵐の夜に帰結する。あまりにもこの記憶が鮮明すぎるからだろうか。それとも。

この夢は、同室の潮江がやけに焦って部屋に飛び込んでくるところから始まる。 『仙蔵』 『どうしたんだ、そんなに急いで』 この日は昼頃から酷い嵐が来て、実技や座学は中止、各々が長屋で自習ということになった。あまりにも酷い天候だから、生物委員会なんかは生き物を全てしまい込み、教師は一部建物の補強に大わらわになっていて。 『お前の、あの、あれだ。名前は忘れたが、使いっ走りのくのたまがいないらしいんだよ。何かしらないか』 『…………いない?どこかで居眠りでもしているんだろう』 『それだったらとっくに見つけとるわ!……お前なら知っていると思ったんだが』 『お前、私がこんな嵐にあいつを送り出すほど非道だと思っているのか?』 立花のその言葉に、潮江は『いや、そういうわけじゃねえが……』と頭を搔く。立花は溜息を一つ吐いた。 『私が探してくる。お前よりかは心当たりも多い。ここで待っていてくれ』 『ああ……』 そうして、立花は潮江と入れ替わるように部屋を出た。外に出た瞬間、吹きすさぶ雨が立花の頬を叩く。最悪だ、と思いながら廊下を歩けば、軋む床が悲鳴のように声を上げ、どこかからはガタガタと巨人の貧乏ゆすりじみた音が聞こえてくる。心当たりと言ったものの、実の所、立花は何も無かった。なんせ、彼女のことを何も知らないのだ。彼女がどうしてあそこまでするのか、どうしてそんなに教えを乞うのか、どうして立花にまとわりつくのか、どうして立花なのか。何も、何も知らない。そのことに気づいた瞬間に、立花の足は止まった。 一瞬の明滅。その数秒後に、山の方で雷が鳴る。

─────実はな、秘密の修行場が裏裏裏山にあるのだ。