9

黒木庄左ヱ門が、同学年から庄ちゃんと呼ばれていることを知った時、少女はどこかホッとしたものだ。 基本的に庄左ヱ門は心の優しい少年だけれど、自分の前では時々怖いことを言うので、少女はそれが気にかかっていた。もしかすると、自分の不安定さが彼に悪い影響を与えてしまったのではないかと思って。けれど、月に一度の面談のために久しぶりに職員室の方に向かえば、庄左ヱ門と一年は組の生徒達がなにやらわちゃわちゃとしているのが遠目に見えて、少女はほっと胸を撫で下ろす。にこにこと後ろで皆を見守るような素振りを見せている庄左ヱ門は、少女からすれば、まだまだ大人ぶっているだけの小さな子供だ。となればやはり、自分とは距離を置いてもらわないとな、と少女は手首の傷を掻きむしりながら、もう何度目か分からないことを思った。

いつも、自分の部屋に引きこもっているから、良くないのかもしれないな、と少女は考えた。庄左ヱ門は帰れと言っても帰ってくれないし、自分も彼に甘いので、部屋の前まで来られたらもう相手をしない他ないのだ。ならば場所を変えればいい。庄左ヱ門がいなくて、他の人間もいない場所。 しかしこの学園はどうにも人が多くて、そんな場所は中々ない。屋根裏ですら、この前知らない他所の忍者と顔を合わせてしまったぐらいだ。あれは流石に少女も気まずかった。お互いあっあっあっ……となってよく分からない曖昧なほほ笑みを浮かべてしまったし。もっと他にいい場所がないだろうか、と思って、一つ、思い当たる場所を見つけた。 「…………善法寺がいたらどうしようかと思った」 それは、昔、善法寺と仲が良かった頃に彼がよく引っかかっていた落とし穴。誰が掘ったのか分からないが、数年前に比べて何故か数もめちゃくちゃ多くなっているので、少女も簡単に見つけることが出来た。……屋根裏の件といい、もしかして弊学の治安は悪化の一途を辿っているのではないだろうか?という疑問が少女の頭をもたげたが、まあそれは自分の考えることでは無いと一旦置いておく。 少女は足で一旦穴を空けると、そこに滑り込んだ。こうして落とし穴に落ちたことは無かったけれど、存外深いし、体育座りをしても若干の余裕があるスペース具合だ。こんなものが沢山あるのかと思うと地盤沈下の四文字が脳裏を過ぎったが、これもまた彼女が考えるべきことではない。ここなら安心だと少女は目を閉じた。こうしているとこの世界にいるのは自分一人だけで、そうしたら誰にも迷惑をかけていないように思えて、あっという間に眠りに落ちてしまった。

なにか冷たいものが当たるなと思って、少女は目を覚ました。視界の先の空は暗くなり雨までもが降っている。まあこういうこともあるか、と少女は思ったけれど、別に出ていこうとは思わない。土と水が混ざってぐちゃぐちゃになって、髪の毛がぺったり張り付いて、服も当然汚れてしまったけれど、それでも少女はここから出ていこうとはちっとも思えない。むしろ、こんな雨ならもっと人が来る確率は少なくなるだろうと思って、嬉しかった。 そうしているうちに雨はどんどん強くなってきて、なんだかこういう水遊びのように少女には思えてくる。少女は立ち上がって、ぐん、と背を伸ばした。背中と胸にも雨が流れ込んできて、皮膚にある傷口を疼かせる。でもそれすらも苦ではない。 ─────ああ、一人でいるのは楽しいな。他人がいないってすごく楽だ。あたしは誰も傷つけないし、逆に誰もあたしを傷つけない。このまま、あたしの世界が最初からこうだったってことになればいいのに。 けれど、そんな思いは直ぐに崩れさった。まん丸の空を覆う影が、こちらを見ていた。今の少女と同じく濡れそぼった彼は、彼女をじっと見つめていた。 「ご、めん」 何も言われていないのに、少女の口からはそんな言葉が零れた。彼の赤く腫れたような目と、濡れ鼠のような姿と、指先にこびり付いた土で、彼が自分を探し回っていることがすぐに分かった。それと、彼にどれだけの不安を与えてしまったのかも。 「どこにもいないので、死んだのかと思いました。井戸も、竈の中も探しました」 冷静な口調だったけれど、その声は震えていて、少女はああ、と思った。駄目だな、やっぱり私は優しくない。本当の意味で優しくなんてない。 「ごめんね。ごめん。ごめんなさい」 「何をそんなに謝るんですか。悪いなんて思っていないくせに」 「うん。そうだね。ごめんなさい」 「また謝った」 「ごめ……うん。今上がるから、ちょっと寄ってて。危ないよ」 少女は何度か横壁の土を蹴って溝を作ると、手の力で上がっていく。そうして地面に戻ってきた頃には、庄左ヱ門の真っ直ぐな眼差しが少女を射抜かんばかりに向けられている。彼女はこれがどうにも苦手だった。 「天の岩戸ごっこは楽しかったですか」 「いや天の岩戸なんて大層なもんじゃ……」 「先輩がいらっしゃらない人生は、僕にとって太陽がないのと同じです」 「それは言い過ぎ」 「言い過ぎました」 ここで認めるのが彼らしいと、少女は少しだけ笑ってしまった。 「しかし、先輩が僕にとって、暗闇の中の燭台であることは確かです」 「蝋燭の方じゃないんだ」 「蝋燭だけでは持ち運びが出来ませんから」 一体どこでそんな言い回しを覚えたのだろう、と少女は呆れたような顔になりながら、足を折り、庄左ヱ門と目線を合わせる。雨に打たれて張り付いた彼の前髪を避けてやろうと額に触れれば、まだ幼い少年は大人しく目を閉じた。 「庄左ヱ門、一つ覚えておくといい。そんなふうに言われてしまうとね、あたしみたいな人間は、絶対に逆のことをする」 「逆?」 「うん。絶対あんたの前で死のうって思っちゃう。そこまで言ってくれるのなら、じゃあ絶対、そうしてやろうって。あんたの言葉なんて届かないんだって見せつけてやろうって」 庄左ヱ門はぽかんとした顔をして、少女はそれがなんだか少し嬉しかった。彼の指先を掴んで、土を払ってやる。それから静かに「帰ろうか」と呟いた。雨はまだまだ止みそうにない。

10

彦四郎にとって、一年は組の学級委員長である黒木庄左ヱ門は、憧れの存在だ。『あの』は組をまとめているだけでも凄いが、一年生たちの噂によると、くのたまの六年生になんと、彼女がいるのだという。彦四郎は直接見たことは無いが、初めてその噂を聞いた時はどっひゃあ、とひっくり返ってしまったものだ。しかし、庄左ヱ門に全幅の信頼を置いている彦四郎はそれを素直に信じてしまったのである。 「彦四郎、少し頼み事があるんだけど」 「うん。ぼく、やるよ」 「…………まだ何も言ってないのに、返事していいの?」 「だってそんな変なことは言わないでしょう?」 しかし、彦四郎の言葉に反して、庄左ヱ門の頼み事というのは少し変なものだった。というのも、くのたまの方の部屋に、食事を持っていって欲しいのだと言う。普段は庄左ヱ門が持っていくらしいのだが、は組の補習を監視してほしいと土井先生に泣きつかれてしまい、出ざるを得なくなったらしい。相変わらずは組ってどうかしてるな……とさらりと辛辣なことを思いながら、彦四郎は安請け合いしたことをを後悔し始めていた。 「くのたまの方って入った瞬間ボコボコにされるんじゃないの……?」 「そうかな。僕は平気だけど。話は通してあるんだし、それにいざとなったら先輩が助けてくだると思うけど」 「先輩?」 「そう、先輩。言ってなかったっけ?食事を届けて欲しいのは、その六年生の先輩なんだ。事情があって、食堂では食事が出来ない方だから」 瞬間、彦四郎は即座に理解した。その六年生の先輩が、噂の彼女とやらに違いない。そう思うとますますぼくで良いんだろうかという気分になってきたけれど、庄左ヱ門に代役を頼まれるぐらいには信用されていると思えば嬉しかったし、何より、彦四郎だって噂の彼女をこの目で直接見てみたかったのだ。尊敬する同級生が付き合っている年上の相手だなんて、絶対に見てみたい。 そんなことを考えて百面相する彦四郎を見て、不安に思っているのだろうかと勘違いした(ある意味正解でもある)庄左ヱ門は、笑ってこう付け加える。 「大丈夫だよ、彦四郎。先輩は────蟻も殺せないぐらい、とっても優しい人だから」 「う、うん」 同級生が真正面から放つ惚気のようなそれに、彦四郎は目を焼かれながらも、どうにか頷いた。

庄左ヱ門いわく、最初は部屋の外から声をかけるといいらしい。そんなこと言われなくてもいきなり襖を開けるなんて真似はしないけどなあ……と思ったけれど、は組の奇行を思い出しさもありなん、という気持ちになった。それはともかく、彦四郎は勇気をだして「っ……す、すみませーん!」と声を出す。 瞬間、部屋の主がバタバタと動き出すような気配がして、彦四郎はどっと背中に汗をかいた。まさか、自分が何かしてしまったのだろうか、侵入者だと勘違いされたのだろうか。そんな焦りのまま、「し、失礼しま、す……!しょ、庄左ヱ門のかわ、ええと、代理で参りました!」とたどたどしい口調で言い放つ。 「………っ、ちょ、待って!タンマ!」 「…………たんま?」 毒気を抜かれた彦四郎が首を傾げる間も、襖の向こうではドッタンバッタンと忙しない。布を引きずるような音に、何かがバラバラと落ちて「あー!」と絶望的な声、おまけに机の角にでも脛をぶつけたのか、「〜〜ッ!」ともんどり打ったような声が聞こえた後、ようやく襖が勢いよく開く。そこにいたのはやはり、自分よりずっと年上の女で、ただしその髪の毛は乱れていたし、何故か掛け布団を上着のように羽織った、芋虫のような姿だった。彦四郎は慌てて彼女のそばに駆け寄った。 「せ、先輩!どうしたんですかそのお姿は!まさか具合が……!?」 「いや具合は悪いのが常だから……あ、いやごめん。ちょっとその、ええと、そう、皮膚がカブれてて、ボロボロなの。見たら、まあ人によっては不快かもしれないから……普段ならちゃんとした上着があるんだけど……今干してて」 「そ、そうなんですね」 お労しい、と言わんばかりの目でこちらを見てくる彦四郎に、少女はほんの少しの罪悪感を覚える。なんせ、自分は今さっきいつもの自傷行為として、手首から二の腕にかけて夥しい程の傷跡を残してしまった。切り傷というよりも抉れたと呼ぶに相応しいそれを、一年生に見せる気にはならない。しかも、庄左ヱ門ならまだどうにかなったかもしれないが、こんな時に限って、相手は見知らぬ一年生だ。絶対に見せる訳にはいかないと、彼女は布団を握る手を強めた。 「せっかく持ってきてくれたのにごめんね、これは後で頂くよ。……えーと、あ、君の名前は?」 「あ、すみません、名乗らずに。ぼくは一年い組の今福彦四郎と言います」 「彦四郎くん。……あー、い組なんだ?あたしも一応い組だよ。まあもう今は組とか関係ないぐらいだけど、あはは……」 「そ、そうなんですね……」 「………………」 「………………」 沈黙。少女の軽いジョークのつもりで言った言葉は、彦四郎にとっては一切笑えず、二人は接点も何もあったものではないので、微妙な空気が流れる。接点、接点、と必死に考えていた少女はあ、と思いつく。逆にどうしてこの話をしなかったのか、どう考えても二人の接点は、黒木庄左ヱ門なのだった。 「え、えーと、その彦四郎くんは、庄左ヱ門くんと仲がいいの?組が違うのに、珍しいね」 「あ、はい、そうなんです!ぼくも庄左ヱ門も、同じ学級委員で、学級委員長委員会に所属していて!」 彦四郎の目がぱっと輝いて、途端に彼についての話をし始めるものだから、少女は苦笑する。感情が分かりやすくて、ベラベラと話をしてしまうのは、忍者を目指す存在としてはどうなのだろうかと思うけれど、別に不快なわけではない。それどころか、同級生から聞く庄左ヱ門の話は、彼女にとっては実に新鮮だった。存外あれにも間の抜けたところがあったのだな、だとか、そう思いを巡らせることも。 「ぼくは庄左ヱ門とは違って、頼りない学級委員長なんですけど、庄左ヱ門はいつも臨機応変で、」 「……彦四郎くんは、頼りないの?」 不意に、少女がそんな質問を零して、彦四郎羽目を瞬かせた。まさか自分に矛先が向くとは思わなかったので、つっかえながら、「えっ、そ、そうですね」と答えれば、「例えばどこが?」とまた質問をする。 彦四郎は戸惑いながらも、自分の欠点を上げていった。決断力がないところ、影が薄いところ、実践が足りていないところ、エトセトラ。 少女はその言葉を遮らなかったし、否定も、肯定もしなかった。ただ黙ってそれを聞いて、彦四郎の言葉が途切れた瞬間に、また一つ、こんなことを聞く。 「じゃあ─────庄左ヱ門くんは、なんて?」 あ、と彦四郎は思って、弾かれたように少女の顔を見る。彼女の顔は、表情は、感情が読み取れない。けれど彦四郎には、これが彼女の優しさなのだと、なんとなく分かった。だって、この問いだけは、答えを確信した問いだったからだ。 「…………とっても頼れる存在、だって、言ってくれました」 「そう。なら、そうなんだろうね。あたしは彦四郎のことなんてなんにも知らないけど、庄左ヱ門くんにとっては、そうなんでしょう」 その、妙に突き放した言い方がわざとらしくって、彦四郎は少し笑った。ほんの少しだけ怖いと思っていた先輩が、どうにも近しく思えて、庄左ヱ門は彼女のこういうところを好きになったのだろうか?と思う。やはり噂は本当だったのだと、彦四郎はその考えを強固なものにした。 「先輩、不躾な質問かもしれないのですが……先輩は、庄左ヱ門の何処が好きなんですか?」 「……えっ」 急に?と少女は戸惑った。彼女は目の前の一年生が、自分と庄左ヱ門が恋仲だと誤解していることを知らない。だから突然すぎるその質問に目を丸くしたが、先程までの熱量を見て、まあ自分が好きなものは相手も好きだと勘違いしやすい年頃だからなあ、と納得をしてしまう。このすれ違いを指摘する人間も曲者も、ここにはいない。 「好きなところ、えーと…………………………………………………………………………………………いや、特に」 考えて、少女はふと気づく。無いな、と。出会ってから今までの記憶を遡ったが、特にない気がする。 「と、特に!?無いんですか!?どうして!?」 「ど、どうしてと言われても……」 そんなに?必死すぎるだろこの子、と思う少女に、仮にも交際相手にそんなことを、と動揺する彦四郎。二人とも、噛み合っていないだけで、至極当然の反応ではあった。 「好きなところじゃなくて、腹が立つところはあるよ。私の事優しいって押し付けがましいところとか、頼んでないのに来るところとか、急に正論言って封殺してくるところとか、あとなんだろう、本当に神経を逆撫でてくるところとか────」 彦四郎はわなわなとしながら、必死に意識を飛ばさないように堪えた。しかしあまりのショックに、彼は気づいたら一年生の廊下に立っていて、とどのつまりどうやって帰ってきたのかの記憶がない。しかしあの先輩の酷い言葉達は覚えていて、慌てて彦四郎は庄左ヱ門の元に向かう。 「庄左ヱ門ッ!あの先輩、全然優しくないよ!」 「え?そう?」 「そう!……い、いやぼくには優しかったかもしれないけど!庄左ヱ門には優しくない!」 彦四郎はかの少女が庄左ヱ門に差し向けた、『腹が立つところ』を一個一個話してやった。庄左ヱ門が悲しむかもと思ったが、あの先輩と交際を続ける方が(※付き合っていない)悲しむことになるかもしれない、と身を切るような思いだった。しかし、彦四郎の予想に反して、庄左ヱ門の目は輝き、頬は赤くなり、それどころか「本当に?」と嬉しそうに言う。彦四郎がおずおずと頷けば、庄左ヱ門は破顔した。 「────そうなんだ。ありがとう、教えてくれて!」 どこまでも眩しいそれに、彦四郎は驚いて、よく分からないまま「うん」と言った。やはり、庄左ヱ門は凄いなあ、と思いながら。

11

じいっ、と竈を見つめる少女の背中を、庄左ヱ門もまたじいっと見つめる。そんな二人を、庄左ヱ門の祖父である老人は、怪訝そうな顔で見つめるばかりだ。

庄左ヱ門は彼にとって、自慢の孫である。賢く、要領もよく、礼儀正しいのに愛らしい。目に入れても痛くないとはまさにこの事だった。そんな庄左ヱ門が、学園長のおつかいがてら忍術学園からくのたまを連れてやって来るとのことで、ほほうガールフレンドというものかと老人はかなりソワソワとしたのだけれど、実際に現れたのは庄左ヱ門より年上の、どこまでも陰気そうな顔をした少女だった。彼女は顔以外の見える肌全てに包帯を巻いており、指先もよくよく見れば酷く荒れている。どこぞの医者のところから逃げ出してきたような風貌だった。 そんな彼女と庄左ヱ門は手を繋いできたので、老人はぎょっとして『この娘さんはどうしたことだ。どこから拾ってきた?』と自らの孫に話しかけた。 『ちょっと爺ちゃん、失礼だよ。この人は僕の先輩。日頃お世話になっているんだから』 『そ、そうなのか?』 『いいえ、全く』 少女はぽつりとそれだけを言って、目を伏せる。戸惑う老人に、庄左ヱ門は『人見知りなんだよ』と笑う。人見知りだとかそういう問題では無いような気がしたが、老人は孫の言うことなので頷いておいた。 彼が学園長に頼まれた炭を包んでやっている間、庄左ヱ門は楽しげに、実家を案内してやっているようだった。孫が自分の家業を誇りに思っていることは嬉しいが、少女の反応があまりにも薄いので、孫が紹介してやっとるのに!とよく分からない悔しい気持ちがむくむくと老人には湧いてくる。しかし庄左ヱ門はそんなことは気にしないで『そうだ先輩、竈を見ていかれませんか?うちの火は、よく燃えていますよ』と言う。興味なんてないだろう、と内心で思った老人を他所に、少女は「みたい」とぽつりと零した。

そして、場面は冒頭に戻る。 少女は数刻もの間、竈の中の炎をじっと見つめて、庄左ヱ門もそんな彼女をじっと見つめているものだから、老人は不安になって、そうっと庄左ヱ門に話しかけた。 「……大丈夫なのか?あの女、さっきからずうっとあの調子じゃが……」 「え?ああ、うん。先輩は死の匂いがするものがお好きでいらっしゃるから」 孫の口から微笑みと共に吐き出されたその言葉を、一瞬、老人は理解出来なかった。それでも庄左ヱ門の言葉は続く。 「焔、夜の海、眩い切っ先、蝕む毒。先輩はそういうものの前で初めて、落ち着くことが出来るんだよ。ほら、今だってあんなに穏やかな顔をしてる」 穏やかな顔。そうだろうか。老人にとって、その鈍色に染まった彼女の横顔は、烈火に満ちた地獄を雲の上から見下ろす観音様のように見えた。作り物めいて、冷ややかな顔だ。竈の炎にも溶かされない、鋼の心にすら思える。 「……………ただの気狂いにしか見えん」 思わず、というふうに言った言葉にも、庄左ヱ門は怒らなかった。ただ滔々と「そうかな?人間は皆、どこかしらおかしいと思うけど……」と述べるだけだ。 「あ」 不意に庄左ヱ門がそんな声を上げて、駆け出したのと、少女が竈の中に手を伸ばしたのは同時だった。そんなことをすれば手がどうなるかは老人にだって分かる。昔、似たような真似をして酷い目にあったので、肌を炎で焼かれた時の痛みも覚えている。 しかし、少女の顔はそれと同じものを感じているのかと疑問に思うほど、静かだった。まるで陽の光に手をかざすがごとく、手を伸ばしてほんの少し目を細めた。庄左ヱ門が彼女の手をぱっと持ち上げたのはそれからすぐの事で、老人はそこでようやく慌てて我に返り、桶に水を入れて戻ってくる。 「…………ああ、わざわざすみません」 「謝るぐらいならこんなことをするな!」 老人のその言葉に、少女はぱちりと目を瞬かせる。それは彼女がここに来てから初めて見せた、年相応の表情で、逆に老人の方が驚いた。そうか、彼女は人だったのかと、今更ながらに気づいたのだった。 「先輩、うちの爺ちゃんを心配させないでください。もういい年なんですから」 「そういう問題かなあ」 くすくすと少女と庄左ヱ門は顔を見合わせて笑う。老人はそんな二人を見て、深い溜息を吐いた。全くもって、最近の子はよく分からない。