同じクラスの下野さんはいつもあまり大丈夫じゃなさそうな感じの子で、授業中ふと教室を見渡してみると席にいなかったり、お昼休みになったら家に帰っていたりする。何故 「そう」なのかはよく知らない。どうしてと聞けるような仲でもない。そもそも、向こうはこっちの名前も覚えていないかも。わたしだってクラスメイトにもいくらか名前が咄嗟に思い出せない人が何人もいる。普段喋らない相手の名前なんてぼんやりとしても仕方がない。 出席日数という意味では内申のよくなそうな彼女だが、 授業態度は至って真面目に見えた。授業に出ても眠気を堪えられずに寝てしまうわたしと、時々休んでも宿題を必ず提出す る彼女のどっちが真面目かと言われたら、大体の人は下野さんを選ぶ気がする。まあ、色んな意味で効率は悪いと思うけど。どうせ内申取れないならもっと適当にやってた方が楽だろうに。これから受験だってあるのに。そんな風に考えてしまうわたしもまた呪われているのだろうか。 1ヶ月に1回くらいの頻度で、わたしも保健室にサボりに 行くことがある。......下野さんはサボってるわけじゃないか。サボりとは客観よりも主観が重要視されるべきだ。だけどわたしのは、本当にただのサボり。のっぴきならない特別な事情があるわけでも何でもない。親にバレず、教師からも特別気に留められず、受験にも支障のない程度の気休めだった。 だから、下野さんと保健室で出くわしたとき、わたしは一 方的に気まずくなった。こういう下野さんみたいな人が本物 で、わたしが漠然と感じてる息苦しさは偽物。そんなこと彼女は言わないだろうけど、無意識にそう比べてしまう自分がいた。 養護教諭は用事があるのか席を外していて、下野さんはソファで本を読んでいた。彼女の丸眼鏡越しに目が合って妙な居心地の悪さを感じたけれど、あからさまに目を逸らすのもかえって失礼かと思ってわたしはゆっくりとピントをずらす。 あくまでわたしはあなたに敵意を抱いていませんよという意思表示のつもりだけれど、このサインが相手に伝わったことがあるのか聞いたことがないから、彼女がどう思ったのかはわからない。

「先生いない?」 あんまり威圧的にならないよう声のトーンも控えめに訊ね ると、彼女は「ちょっと席外すって」と普通に答えてくれた。変に敬語じゃないあたり、一応クラスで見かけたくらいの認識はあるらしい。 彼女の座るソファの向かい、小さいスツールに腰掛けて保健室の来室記録カード書きながら、彼女が持っている本の表紙を盗み見る。寺山修司かあ。図書室で読んだな、やたらおしゃれな詩がたくさん載ってるやつ。でも読んだの二、三年前だし具体的にどれが好きとか今全然言えないし、こういう浅い感想しか出せないなら言わない方がマシだな。そう思ってわたしは口を噤む。沈黙は金だ。言わなければないことと同じだし、彼女にとってはない方がいいだろうこんなこと。来室理由のところに「生理痛」と嘘を添え 視線を落とす。 「遠野さんって…………」 「えっ」 それ以上話しかけられると思っていなかったので、思わず声が上ずる。こういう時変にリアクションが大きくなるのが恥ずかしい。口元を抑えながら慌てて顔を上げると、丸眼鏡の奥の瞳もほんの少し驚いているみたいに見えた。 「ご、ごめん。保健室なのにめちゃ声デカくて」 「いや、わたしは大丈夫だけど......」 そこでおかしな沈黙が生まれて、やたら気まずさが増す。 もっとスマートな振る舞いがしたいのに、いつもわたしは鈍臭い。 「...............遠野さんって文芸部でしょう」 だからそこでやっと気がついた。下野さんがわたしの名前を覚えていて、あまつさえ文芸部所属だと知っていることに。 「文芸部の部誌、時々読んでるよ」 「あ、あ... へへ、ありがと......」 思ってもみないところから褒められたのが嬉しくて、下野 さんへ感じていたほんの少しの壁を忘れそうになる。────ああいや、だめだ。こうしてすぐに他人へ関心や好意を持ってしまうのがわたしの短所。それで痛い目に遭ったとき湧き上がったあの冷たい感情を、何度も何度も反芻する。下野さんには同じ気持ちになってほしくない。わたしも、もう 同じ気持ちになりたくない。さっきの現国でやったばかりの山月記を思い出しながら、わたしは臆病な自尊心と尊大な羞恥心ばかり肥大化させていく。 その感情が破裂する前に、養護教諭が戻ってきてわたしは そそくさとベッドへ寝転んだ。古い天井の変な模様を焦点の合わない目で見つめながら、浅くなる呼吸を少しずつ整える。 わたしは何者にもなれない。なれないままこの世界から逃避 する。きっと、わたしよりはずっと善良な下野さんとは違って。