私がフランスに来てから初めて出会った日本人で あるひーちゃんは、美術品みたいな女の子だった。 そんなことを直接ひーちゃんに言ってみると、彼女は「そうかな?」と長い髪の毛を揺らして笑った。 「うん、似てるよ」 「どのあたりが?」 「……例えば絵画でも、モナ・リザとか最後の晩餐 とか色々あるけど、その中に描かれている誰とひー ちゃんが入れ替わっても、誰にも気づかれないとこ ろ」 「えー、そうかなぁ」 ひーちゃんはくすくすと笑った。そんな姿も、ど こか絵画めいている気がしてならない。 ひーちゃんはフランスに住んでいるというのに、 今日の今日までルーブル美術館に足を運んだことが なかったらしい。東京の人がわざわざ東京タワーにのぼらないみたいな話かな、と思いながら、私はひーちゃんを誘ってルーブル美術館へ来た。 私は結構ルーブル美術館に来ることが多い。基本 的には閲覧とか観覧というよりかは、模写とかデッ サンをしている。日本の美術館と違って、その辺りの許可は簡単に下りる。 そして筆や鉛筆を動かす度に、私はひーちゃんを書きそうになる。ダ・ヴィンチもフェルメールもア ルチンボルドもラファエロも、皆みんなひーちゃんのことを知らないし描いてすらいない。けれど私は、 彼らが描いたのはひーちゃんで、この絵の中にいるのはひーちゃんじゃないかって、思ってしまうのだ。 「きれいな翼だね」 ひーちゃんはサモトラケのニケを見上げている。 噂によるとここはスリをするには絶好のポイントら しいので、私はスリに意識を向けつつ、その像を見上げた。 この像には頭がない。失われた状態で発見されたからだ。美しい、と思う。欠けているからこそ、不完全だからこそ、サモトラケのニケは美しいのであり、サモトラケのニケたらしめているのである。けれど同時に私は、ニケの失われた頭は、ひーちゃんの顔をしていたんじゃないかとも思ってしまう。そしてそれは、目の前の実物のように美しいのではないかと夢想する。 ちらりとひーちゃんの横顔を盗み見る。ひーちゃ んは人間だ。絵の具の服を着た誰かでも、石の肌を した誰かでもない。ひーちゃんが美術品だなんて、 そんなことはありえないってこと、知っている。けれど私は、いつだって人間は想像の中で自由でいられることも知っている。
数ヶ月後、今度はひーちゃんからお誘いを受けた。 曰く、「大英博物館に行こうよ」とのことだった。 私は少しだけ迷って、最終的に首を縦に振った。躊躇した理由として、フランスからイギリスまでそれ なりの距離があるってことは勿論あったけれど、私はきっとどの美術館に行ってどんな絵画や彫刻を見ても、ひーちゃんに当てはめてしまうだろうという 予感があったっていうのが一番大きい。 だから見てもつまらない……とまではいかなくとも、少しだけ怖い気持ちになるので躊躇っていた。 けれどきっと、美術品の中で永遠のように生きる ひーちゃんは、きっと本物のひーちゃんのように美しい。 だから私は、今後もひーちゃんを美術館に誘うんだろうし、ひーちゃんに誘われたら美術館に行くんだろう。 荷造りをしている私はそんなことを考えながら、 ほとんど無意識みたいに『メトロポリタン美術館』 を歌っていた。