本当に?

「モテたいなあ……」 少女は屋根の上でのんびりと、流れる雲を見ながら呟いた。 ……あっあの雲先輩が使ってる弓みたーい。先輩が見たら喜びそう。そういえば先輩、この前弓が燃えたらウケるんじゃないかって矢羽に火薬付けようとしてたけどあれどうなったのかな、火薬委員会の人は止められたのかな。まあ止められてなかったら今頃弊学は火の海か。 そんなことを考えながら、のんびり雲の形が変わっていくのを見て、少女はもう一度呟く。 「モテたいなあ………………」 モテたい。そう、とにかく少女はモテたかった。別に自分に自信が物凄くないからとか、強迫観念が強いからとか、親に抑圧を受けているだとか、そういうシリアスな動機は一切無く、シンプルにモテたかった。チヤホヤされたり、好意を向けられたかった。あっさっきの███先輩だよねキャー!みたいな。とにかく、とにかくひたすらにモテたかった。モテたすぎて忍者を目指したのだ。だって近所のお姉ちゃんが忍者になったらモテまくり!勝ちまくり!お金のお風呂に毎日入れる!と言っていたから。お姉ちゃんが嘘をついたことは少なくとも少女の中で一度も無かったので、じゃあ忍者になろう!と思った。忍者になって、モテたかったのだ。 ところがどうだ、ちっともモテない。モテまくり!勝ちまくり!の勝ちまくり!の部分しか少女は経験できていない。ちなみにこの勝ちまくり!は戦闘や鍛錬で、ということである。少女は忍者の才能だけは人一倍あったようなので。しかしとにかくモテないのだ。 「こうしていても始まらないな。ただ突っ立っていてモテるのなんて顔がいい人間だけだし……誰かに話を聞きに行こう……」 おや、とそこで少女の無駄に良い目は、学園の来訪者を目ざとく捉える。それは忍術学園の教師である山田伝蔵の息子、利吉だった。利吉は少女の『モテ忍者ランキング』の今年度下半期において、二位を獲得している。これほど相応しい相手はいるまい。早速少女は屋根から飛び降りて、走って門のところまで向かった。 「利吉さん!」 「…………っ、君かあ」 丁度小松田相手に入門表を書いていた利吉は、後ろからの声に僅かに体を揺らしたが、振り向きざまはやはり落ち着いた笑顔だ。こういうのがモテるんだろうな、と少女は確信した。 「『モテ忍者ランキング』下半期二位を獲得した利吉さん、こんにちは」 「完全に初耳だけど、どうもこんにちは」 「私の脳内にしかないランキングなので知られてる方が怖いですよ、あはは」 「知らない脳内ランキングに勝手に入れられてる方が全然怖いんだけど…………それで?そんな言い方をするってことは、またモテの話?」 利吉も利吉で、この少女がモテたがっていることは知っているので(なんなら学園でこの話を知らない人間は間違いなく侵入者とまで言われる)、慣れた様子で言葉を返す。 「はい。モテたいなあと思って空を見てたら、丁度利吉さんの姿を見つけたので」 「君が暇なのはよく分かったよ」 「そんなことを言わないでください!私はめちゃくちゃ焦ってるんです!この前だって、また一人結婚するとかで人数が減ったんですよ!?」 実際、くのたまは忍たまより離脱率が大いに高い。まあ家族としても本人としても、危ない忍の仕事をするより結婚して家庭を持った方がいいと考えるのだろう。 「でも君はまだ四年生だろう?全然行き遅れでもないと思うけど……」 「くのたまの五年生六年生、今どんな人が残ってると思ってるんですか!?情緒不安定面倒くさがり情緒不安定体調不良情緒不安定ですよ!?」 「いやまあ……うん……」 君もある種情緒不安定ではあるかも、と利吉は思ったが、言いはしなかった。こういうところもまた、モテる所以である。 「でもさ、君、厳密に言えば結婚したいわけじゃないだろう?モテたいんだからさ」 「はい。老若男女、人間動物幽霊問わずモテたいです。ちやほやされたい、好意を向けられたい」 「素直に言えばいいってもんじゃないからな!?…………ゴホン、確かにモテる人の結婚率は高いかもしれないけど、別にモテる人=結婚してる人とは限らないじゃないか」 「確かに!ムカつくやつに限って結婚指輪しててえ!?ってなりますもんね!お前に好意を持つ人間って居るんだ……みたいな」 「あるけど。社会でた時あるあるだけど。……まあともかく、焦らなくていいんじゃないかな。ゆっくり、モテ……いや、忍者の訓練を積んでいけば」 「えー、何締めに入ってるんですか。もっとお話して欲しいです。暇なので」 「いや、そうしてあげたいところなんだけど、今日は先約が……」 あ、と利吉が気づいたように目線を向ける。少女も同じように目線を向ければ、そこには一人の怒れる美青年がいた。六年生の立花仙蔵だ。 「…………利吉さん。来てくださってありがとうございます。今日はどうしても利吉さんにお聞きしたいことがありまして」 立花は口の端を引き攣らせながらそう言うので、利吉は苦笑いをするしかない。立花といえば一年は組のしんベヱと喜三太を苦手としているが、彼女もまた、立花にとっての蛇の尾なのだった。一年よりも可愛げがないぶん、憎さ余って憎さ百倍でしかない。 そもそも、どうしてこんな事になったのか、それは少女が一年生、立花が三年生だった頃まで遡る。当時の少女はただの一年生であったけれど、その才能を教師よりも早く見初めたのが立花だったのだ。彼はもとより面倒見のいい性格だが、まだ右も左も分からぬ少女がせんぱいせんぱいとたどたどしく着いてくるので、酷く可愛がってやっていた。自分の技術を惜しげも無く与え、生活の面倒を見てやり、同級生達にも自慢の後輩なのだと紹介していた。彼女はきっと、優秀な忍びになると、立花は疑ってならなかった。いつの日か自分と同じ戦場に立ってみたいと彼女が言うから、そんな彼女に見劣りしない、素晴らしい完璧な忍者になろうと努力した。しかし、それから二年後。 『モテたいからです』 『……………………は?』 『ですから、モテたいのです、先輩。私はモテたいので忍者になりました。あれ、言ったことありませんでしたか?』 ───まさか、まさかこんなふざけた理由だとは、思ってもみなかったのだ。ちやほやされたい、好かれたい、そんなどこまでも低俗な理由は、忍者としてのプライドを持つ立花を怒らせるのに十分だった。 どうしてお前はそんなことが言える! お前は私の何を見てきたんだ! 忍者をなんだと思っているんだ!そんなことに命を賭けられるのか!? お前はどうかしている! そうまくし立てた立花は、少女の反論を待たずして部屋を出ていき、それっきりだ。それから一年間、立花と少女の縁はぶっつりと切れている。今でも立花は少女を見かけると額に青筋を浮かべて、懐に手を伸ばそうとするので、周囲の人間が慌てて止めようとするのが常だった。 「そういうわけだ。さっさと消えてくれ、……にしても、お前がまだ学園にいたとはな。こんなところにいるよりも、町で遊んでいたほうがいいんじゃないのか」 「───え、先輩、この前とかめっちゃ廊下ですれ違ったじゃないですか。もう忘れちゃったんですか?」 「〜〜〜〜〜ッ!!そういうことじゃない!!」 利吉は頭を抱えた。これだ、少女のこの態度が、二人の溝を悪化させる要因の一つなのだ。別に彼女は立花を煽っているわけでもないし、なんなら立花のように相手を嫌っているわけでもない。彼女は忍者らしく実に冷静で、まあそうなら仕方が無い、と立花の絶縁を受け止め、それはそうと昔と変わらぬテンションで話しかけるので、立花ばかりが憤怒する羽目になっている。もはやお約束の光景だった。少女があんまりにも綺麗に爆発地帯でステップをするので、眺めているだけの利吉も、ほんの少し胃が痛くなってくる。これを楽しめるのは、一年は組の肝が座った良い子達ぐらいだろう。 「ッもういい!二度と私の前に姿を見せるなよ!」 「え、でも来たのは立花先輩の方じゃ、」 「あーもう分かった!分かったから!解散!さ、行こう!」 これ以上、二重の意味で爆発されてはかなわないと、利吉は立花の背中を押す。自分は不満そうな顔をしていたが、「また遊んでくださーい!」と利吉に手を振っていたので、利吉もそれに振り返す。 「……あんな女に時間を割いてやらなくてもよろしいんですよ」 「あはは…………」 ムスッとした表情に、利吉は苦笑した。怒りながらも彼女が手を振っている姿に、じっと目を向けている立花は、どうにも。少し考えた利吉は、こんなことを口にする。 「───さっき、彼女に後ろから話しかけられたんだけど、気配が驚くほどなくて、私としたことが驚いてしまったよ。あんな事を言っているけど、彼女は凄く、優秀な忍になるだろうな」 「………………」 ちら、と利吉が見れば、立花は顰め面で無言を貫いていた。けれどよくよく、よーく見れば、その口の端は少しだけ緩んでいる。普通の人間なら、分からないぐらいの変化。けれど立花という男の気持ちが出ているには十分だった。 要するに────誇らしいのだろう。嬉しいのだろう。彼女が、褒められて。口で突き放したって、期待を裏切られたって、一緒に過ごした日々が無かったことになってくれるわけではない。とどのつまり、どうしようも無く立花は彼女の先輩で、彼女もまた、立花の後輩なのだった。 素直になれば良いのに、と思ったけれど、利吉は口に出さなかった。これはモテ男であるが故と言うよりも、自分の両親を見てきたが故の経験値であると、ここに書添えておく。

うん、本当に!

「モテたいなあ……」 少女は地面でのんびりと寝転び、空に向かって飛んでいく矢を見ながら呟いた。 「またそんなことを言って」 そう笑うのは、少女が懐いている一つ上の先輩だった。くすくすと笑みを零しながら放たれたそれは一切の狂いもない。感心した少女が手を叩くも、彼女は「ちょっと、うるさい」と素っ気なかった。 「先輩、私はどうしたらモテると思いますか?」 「え、うーん、まあ順当に、他人に興味を持つことじゃない?君はあれだもの、基本的に他人に興味が無いんだもの」 「失礼な。めちゃくちゃ興味あります。この人私の事好きになってくれないかなーって」 「どの口がそんな…………じゃあそうだね、もう少し、的を絞るべきじゃない?」 「的を絞って当てられるのは先輩ぐらいですよ」 「おべっかは結構。そうじゃなくて、例えば年下だとか年上だとか、結婚相手なのかそれとも肉体関係だけなのか、顔はどうなのか実家はどうなのか、とか条件があるでしょう。そういうものを一旦考えて、層を絞るべきじゃない?ってこと」 「なるほどお」 またしても彼女の弓が空をかける。そうしてしばらくすれば、向こうから抹茶色の袴を来た忍たまが走ってくるのが見えた。 「先輩!」 「神崎、次屋。…………富松は?」 「?あれっ、本当だ!迷子になったんですかね!?」 「ねえ神崎、お願いだからそれ富松に言わないでね。先輩は君たちが身内の共食いするところ見たくないから……」 そんな会話を見ながら、思えばこの先輩はやけにこの抹茶色をした後輩に好かれているなあ、と少女は思う。自分の存在を忘れて楽しげに先輩と話す抹茶色二人の眼差しは、憧憬でもあり、愛情でもあった。ふうん、と少女は老獪な仕草で顎を触った。 「先輩!私、的を決めました!」 「え?ああ、まだいたんだ」 「私、後輩モテを目指します!後輩にモテたい!」 さらりと酷いことを言われてもめげず少女がそう宣言すれば、先輩は「あっそう」と一瞬で興味を失い、存在を忘れたかのように抹茶色に構い出すので、少女は意気揚々と背を向けた。後ろで後輩2人が信じられないものを見るような目で見ていたが、これがここ二人の常なのである。

「おーいそこの湿り気を帯びた一年生!」 「うわあっ!貴方は……四年い組のモテたがりの先輩!」 「なんで説明口調?」 「お決まりなんですよう」 少女が話しかけたのは、一年は組のしんベヱと喜三太だ。二人は突然の来訪者に若干嫌そうな顔をしたが、こうなっては仕方ないと「急にどうしたんですかあ……?」と少女の顔を伺った。 「いや、後輩にモテたいなと思って」 「ま、またこの人モテようとしてる……」 「忍者がモテるのって正解なのお?」 後輩の至極当然とも言える疑問を、少女は華麗に無視した。この手の質問はもうウン万回されてきているので。 「で、後輩にモテるランキング一位は誰かなって考えたらやっぱり立花先輩だったし、そんな立花先輩が大好きな後輩の筆頭と言えば君たち二人でしょう?だから、話を聞こうかと思って」 「えっとぉ、確かにぼく達立花先輩のことは好きなんですけどお、そういう『好き』じゃないというかあ……」 喜三太の言葉に、少女は目を丸くして「そういう好き、って何?まるでそういうんじゃない好きがあるみたい。好きは一つしかないでしょう?」と返す。あまりにも当然のようにそう返されて、喜三太は戸惑って隣のしんベヱを見たが、しんべえも同じように困っていた。 「ちょっと、聞いてる?いいから、好きな所を教えてみてよ。それを参考にするから」 「えっ、あ、はい…………」 二人は素直に立花の好きなところを少女に伝えた。頼れるところ、助けてくれるところ、格好いいところ、髪の毛がサラサラなところ、天才肌なところ、それでいてちょっと間が抜けているところ、エトセトラ。後半は、立花が聞いていればいつも通り辺り一帯を爆発させてしまいそうな内容だったが、概ねは非常に好意的な意見だった。少女はそれらを聞いて「なるほどね、完全に理解した」と呟く。後輩二人は一気に不安になった。彼女がなるほどね、と言った時、それが他人にとってなるほどね、だったことは一度もない。むしろどうしてそうなった!?と言い出したくなるぐらいだ。 「よし、じゃあ早速二人とも、団子屋さんに行こう。こういう奢りが、後輩の好感度を高める積み重ねだとみた」 「えっ、それは─────」 「お団子!?お団子食べたいです!」 喜三太が何かを言う前に、分かりやすくしんベヱが食い付いた。こうなってはもう喜三太一人ではしんベヱを止められない。大丈夫かなあ、と思いながら、喜三太は蛞蝓達の壺を不安げに撫でた。

「最悪だ…………ッ」 実習帰り、学園までの道のりで立花が見つけたのは、よりによってあの物理的に湿度の高い後輩二人と、自分を裏切った忌々しい後輩一人、つまり因縁の後輩三人組が団子屋で仲良く団子を頬張っている図である。いや、まだ1年生の二人はいい。あれはあれで可愛げがある。だが少女の方。あれは駄目だ。あれは、立花にとって忌々しい古傷と同等だ。そしてそれは、背中に付けられた傷よりも、他人に晒せず、その存在を許し難いものなのだ。 立花はどうにか迂回しようと思ったが、最後に別れ道を見かけたのは数刻前で、どうにも難しい。なんでこんなところに団子屋を建てた!許可を得ろ私に!と不条理なことを叫びたくなる気持ちをどうにか抑えて、猛ダッシュするためにアキレス腱を伸ばした。課題自体はもう終わっているのだ、ここさえ越えれば完璧な一日として終えられる───そうして最初の一歩を踏み出した、その時だった。

「…………やっと見つけた、まつり……」

そんな男の声に、立花ははっと顔を上げる。『まつり』とは、俗に言うお祭りということではない(しんベヱや喜三太はこっちだと思ってきょろきょろとしている)。それが少女の潜入用の偽名であるということを、立花は知っていた。 男は胡乱な目つきで、まつり、もとい少女に近寄っていく。後ろ手に隠しているが、その手には分かりやすく、隠す気もないぐらいの包丁があった。何が起こるか分かった立花は咄嗟に駆け出した。昔にも、同じようなことがあったからだ。 数年前、立花が四年生、少女が二年生だった頃。まだこの時の二人は仲が良かったので、今の彼らと同じように横で座って、団子を食べていた。立花の奢りだったそれを、彼女はにこにこと笑って頬張っていた。

『───まつり、ああ、やっぱりまつりだ!』

そんな時だ。妙な男が声をかけてきて、これはおかしいと思った立花が前に出るよりも早く、彼は懐から火箸を取り出し、それでなんの躊躇いもなく少女の目を突こうとした。あまりにも突然すぎるそれに、立花はむざむざと少女の顔にそれが突き立てられるのを見ることしか出来ない。幸い、相手は忍者でもなんでもない一般人で、箸の先は目ではなく彼女の額に当たった。しかし躊躇いもなく傷つけるために振り下ろされたそれは、確実に少女の額を抉り、彼女そこからは血がぽたぽたと流れ出る。 ────そこからのことを、立花は思い出したくない。思い出したく無いから、もう二度と同じことをさせてはいけないと思って、走り出した。それに今は、一年生の二人もいるのだ、危険が及ぶかもしれない。

「先輩、この方、知り合いですかあ?」 「お友達?」 「えー、覚えてないけどなあ。ええと、私たち、どこかで会いましたっけ」 「ッ、お前ッ、お前が!お前が言ったんだろうがお前が好きになれと、好きになってくれとだから俺はッお前がッ、お前が───!」 取り出された切っ先を見て、喜三太としんベヱが真っ青になる。立花がその男の首根っこを掴み、引き離そうとした瞬間。少女が立ち上がり、手を出す。まるで握手のように。 その掌は、包丁を握りしめていた。当然のように彼女の手からは血が流れて、男の方が怖気づくような顔をした。立花も、同じだった。男の背中越しに、そこにいる、少女の顔を直視してしまったのだ。それは数年前と同じ過ちだった。 「─────そうですか!好きになってくださったんですね!嬉しいなあ!」 フラッシュバックするのは、あの笑顔。薄らと頬を紅潮させた、どこまでも無邪気な笑顔は、数年前と変わらない。変わってくれやしない。少女の視界は男も立花も捉えているはずなのに、その焦点は何処にも会っていない。見ているはずなのに、何処も見てはいないのだ。 「誰だか分からないけど、ありがとうございます!」 「ま、まつりっ。お前何を……俺たち、あれだけっ、あれだけ親しく、」 「?はい、好きになってくださったんですよね」 無駄だ、と立花はもう何度思ったことをまた思う。無駄なのだ。彼女はそういう生き物なのだ。 「だから───そのままずっと、私のことを好きでいてくださいね!死ぬまでずうっと!私のことを、好きでいてください!私、とにかくモテたいんですよ!」 「はあっ!?だから、だからそれが……!」 「…………もうやめろ」 どちらに言っているのか分からないその台詞に自重しながら、立花は少女の手を引き剥がし、男の手首を捻った。骨も折っておいたので、しばらくは包丁どころか箸も使えないだろう。男は酷い痛みを与えられたにも関わらず、呆然としたままその場に座り込んだ。しんべえも喜三太も、何が起こったのか分からないまま、二人で身を寄せあっている。少女だけが、男を見下ろして、至極嬉しそうに笑っていた。彼女が横髪をくるくると人差し指に巻き付けるのは、上機嫌である証だと、立花は知っている。 「…………お前は!お前は、いつまでこんな巫山戯たことを続けるつもりだ!」 「はあ……いつまでって、普通に……死ぬまでじゃないですか?だって、人に好かれて嬉しくない人なんていないでしょう?」 ──たちばなせんぱいだって、そうだったじゃないですか。 彼女の口が小さくそう動くのを見て、立花はいよいよ本当にこの女を殺してしまおうかと思った。この、どこまでも悪意のない、それゆえにどこまでも残虐な女の顔に数百回苦無を突き立ててやろうかと。 けれど、視界の端に移った一年生を見れば、その激情は瞬く間に鎮火した。もう大丈夫だと声をかけてやれば、二人はわっと泣いて少女に駆け寄る。痛くないですか、と声をかけられた少女は苦笑しながら「めっちゃ痛いよー」と零して、それがどこまでも、立花には寒々しかった。二年という歳月は、立花を変えても、少女の性根を変えるには至らない。それがどこまでも絶望的な気持ちにさせて、立花の心を燻った。この女の全てを早く忘れてしまいたい、ともう何度目か分からないことを思うぐらいには。