※書きたいところだけ
あんまり大きい声では言えないけれど、エンドのE組って言葉が、私は好き。ここが終わりと決められているのなら、なんだって出来ると思えるから。 前にそう言った時、担任の殺せんせーは「実に貴女らしい、素敵な考えですねえ」と笑ってくれて、それが妙に嬉しかった。 けれど困ることが無いわけじゃなくて、そのうちの一つがE組に向かうまでの道のりがとっても大変だということだった。私は幼い頃から片足を悪くしていて、完全に動かないわけではないけど、ロフトストランド杖(簡単に言うと松葉杖よりもシンプルな形状の杖)が無いと動けない。そんな私にとって、この道はあまりにも険しすぎる。見かねた殺せんせーがここ一体を改造して私のための動く通路(空港とかにあるやつ)を作ろうとしたけど、流石に破壊が過ぎると烏間先生に止められていた。せんせーの心遣いは有難いけど、私にとって歩くことはリハビリにも近しい行為だから、どちらにせよ使わなかったと思う。 「おはよう!」 「おはよう、ひなたちゃん」 「あ、まだ今日は荷物残ってる!持っていっていい!?」 「いいよ、ありがとう」 最初は皆気まずそうに遅い私を追い越していったけど、今では皆良い意味で私に慣れて、なんなら私の荷物を持って上がれた人はその日一日ラッキーだとかいうジンクスまで出来た。私としても、頼れるところは頼りたいから、素直に好意に甘えさせてもらう。リュックを私の代わりに背負ったひなたちゃんは、軽やかに駆けて行ってくれた。
そこから数十分後、私はまだ到着していないけれど、五分前ほどに授業の鐘が鳴った。遅刻に関しては、免除するという提案もあったけど、それもそれで嫌だったので、相談の上三回遅刻したら一回課題を出す、と先生達と取り決めた。ちなみにもう課題は十回以上出している。梅雨の時期が個人的には大打撃だった、という感じだ。 「……まだこんなとこにいんのかよ」 「……あ、寺坂くんだ。もうチャイムなったから、遅刻確定だよ」 「お前もだろ」 これを言うと意外かもしれないけど、登校の時に一番出会うのは寺坂くんだったりする。前は寺坂くんのお友達も一緒にいたけど、最近は先に行ってることが多いらしい。彼とはE組に来る前から少しだけ面識があったので、比較的話すことが多かった。 「寺坂くん、私と違って普通の足があるんだから走りなよ、勿体無い!」 「おい!絶妙に突っ込みづらいこと言ってくるんじゃねえよ……!」 「不良の癖に良識はあるんだ、生きづらそう……まあ足やってる私の方が生きづらいんだけど」 「だから否定も肯定もしにくい事言うな!」 「あはは、冗談冗談」 「お前の冗談いつもスレスレすぎるだろ……」 げんなりした様子の彼が、急いで登校するところを、私は見たことがない。彼はいつものろのろと歩く。それが本来の気性なのか、気遣いなのか、私には区別がつかないし、付けたくは無かった。同情されるのは、いつだって苦しい。 もし殺せんせーが私のことを一度でも『可哀想』と言ったら───ううん、殺せんせーに限った話じゃないな。烏間先生でも、寺坂くんでも、他の誰でも、私にそんな事を言ったら、殺す理由になる。 「寺坂くん、行きがてら英単語の出し合いっこしようよ」 「しねーよボケ。なんですると思ってんだよ」 「え?寺坂くんは頭が悪いから……した方がいいよね?」 「殺すぞマジで……!」 寺坂くんの殺す、は私よりもずっと軽い。でもこの軽さが、私は嫌いじゃなかった。
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「……で、ここのカッコを開いてみる」 「あ、そっか。これで公式が使えるんだ」 「そうそう!」 「…………同じE組なのに、教えるの上手いよねえ」 渚くんに数学を教えていれば、隣で一緒に勉強していた茅野さんが、ぽつりと零した。彼女のノートは未だに真っ白で、私は苦笑する。 「うん、本当に凄くわかりやすい。理解してる人ってやっぱり教えるのも上手いんだなって……」 「あはは、渚くんまでそんな」 「本当にE組にいるのが不思議だよ!なんでこんなところに……」 そこまで言った茅野さんは、慌てて口を塞いだ。私は少し笑って「別に聞かれて嫌な事じゃないよ。何人かには話してた気もするけど、二人は知らないんだっけ?」とフォローを入れる。二人は顔を見合わせて、おずおずと「「知らない……」」と言った。 「大した理由じゃないけどね。学園長のお願いを断っただけ」 「お願い?」 「うん。なんか……なんだっけな。テレビ?の取材で。私みたいな人間も頑張ってますよー!ってやつ。ドキュメンタリーのお誘いみたいなのが来てたらしくてさ。学園長が出ろって。お願いというかもう命令だよね」 「あはは……確かに、ドキュメンタリーってずっと密着されてるイメージがあるし、テレビなんて顔が出るし……」 「そりゃあ嫌に決まってるよ!」 「ふふ。二人が怒ってくれてるところ悪いけど、私にとってそこはそこまで重要じゃなかったかな。私はヘレン・ケラーになりたくなかっただけだから」 「……ヘレン・ケラーって、あの?」 「うん。世界一有名な障害者……って言うと良くないのかな。でも実際そうだと思うよ。彼女の高潔な精神は、世界中の誰もが知るところだよね」 「私も伝記漫画読んだことあるよ!なんていうか、凄い人だよね。耳も目も見えないで……喋るために口の形を覚えて……」 「でも、私はあんなシンボルになりたくない。同じ境遇の人へのメッセージなんて無いし、誰かの励ましにも希望にもなりたくない。それが他人から強制されるなら、よっぽどだよ。そんなに誰かの希望になりたいのなら、学園長が自分の足を自分で壊してやればいいのに」 「………………」 私の言葉で、場が妙な空気になってしまった。いけない、この話をするとどうにも熱が入って、余計なことを言ってしまう。私は空気を入れ替えるようにして「私の足だとそろそろ暗くなるから、今日はこれでお開きにしよっか!」と笑う。二人がほっとしたように頷くのを見て、悪いことをしたと、申し訳なくなってしまった。
二人は私のことを気遣ってくれたけど、殺せんせーが動く通路の代わりにありえないぐらい発光してるライトを点々と置いてくれたから、下に降りるまでは存外危なくない。だから二人を先に返して(特に渚くんは帰宅時間を心配しているようだったし)、一人のろのろと下って本校の辺りまで来たのだけれど、見知った背中を見つけて、私は声をかけた。 「あ、浅野くんだ」 その声に、彼はびくりと体を跳ねさせて、こちらを振り返る。その顔はしかめっ面だけど、恐怖を隠しきれていない。私は笑った。 「………………」 「浅野くん、久しぶりだね。こんな時間まで勉強?」 「……君の方こそ、山道を駆け回ってきたのかい。暇そうでいいね」 「酷いこと言うね。昔はあんなに優しかったのに」 「……………………」 私は渚くんと茅野さんに嘘は付いていない。学園長のお願いを断ったのは、確かにE組行きの一つだ。でももう一つの決定的な理由がある。 「でも、浅野くんこそ元気そうで良かった。あのぐらいで骨が折れちゃうとは思わなかったから……」 ───私は、浅野くんを殺そうとした。だって彼があんまりにも優しくて、あんまりにも私を見下して、あんまりにもそれに無自覚で、あんまりにも私のことが好きだったから、腹が立って殺そうとした。何度も何度も、彼の頭を杖で殴った。顔を狙った。脳を狙った、とも言う。目を狙った。眼窩は脳に近しいから。 「………………」 私の言葉に、浅野くんの顔が強ばった。私が一歩、一歩と近づく度に、浅野くんは一歩、一歩と後ずさる。 「ねえ浅野くん。あんまり大きい声では言えないけれど、エンドのE組って言葉が、私は好き。ここが終わりと決められているのなら、なんだって出来ると思えるから」 「…………なんだって?」 「そう、なんだって。もうこれ以上私は悪くならないんだよ。だから私は『浅野くんに』なんだって出来る」 浅野くんの顔にはまだあの時の傷跡が残っていて、私はそれを本当に、心の底から可哀想だと思った。可哀想。 「私は浅野くんを────殺せるし犯せるし刺せるし殴れるし落とせるし絞めれるし殴れるし監禁できるし教唆できるし突き飛ばせるし怒れるし悲しませられるし失望させられるし、なんだって出来るんだよ。それってとても素敵だね」 「…………ここで何かしてみろ。警察を呼ぶ。お前だけじゃない、お前の家族だって社会的にどうなるか……」 「……あははっ。怖いんだ?そうだよね、怖いよね?もう二度とあんな痛い思いをしたくないって思うよね?当然だよね?私だって、もう二度と自分の足が壊れた時の痛みを思い出したくないって思うし」 「…………」 「……あ、いけない。お母さんが迎えに来てるのに、話し過ぎちゃった。ふふ、前にもこんな事あったよね。浅野くんと話すの楽しいから、ついつい時間を忘れるんだ」 じゃあね、浅野くん。 私はそう言って浅野くんに手を振った。昔の浅野くんは、金太郎飴みたいな微笑みで手を振り返してくれたのに、今は怖い顔で私を睨みつけるばかりだ。でも、私は今の浅野くんの方が好きだな。なんだかようやく、対等って感じがして。